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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「甲子園で投げたくないんか。野球辞めろ」誤解された阪神のエース井川慶が明かすホンネ「野村監督の教えで…」と高3時の「井川、大したことねえな」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byJIJI PRESS
posted2024/09/16 12:04
阪神のエースとして活躍した井川慶。“誤解されたエース”が20年目にして告白した事実とは
02年に初めて2桁となる14勝をマークし、最多奪三振のタイトルに輝いた。03年も20勝を挙げて沢村賞、最多勝などを獲得し、18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。不動の地位を築いたエースに対して、風当たりが強くなったのは04年オフである。
自身2度目の日米野球に出場する直前の11月、自らのホームページで初めてメジャーリーグ挑戦を公言したのである。
《野球選手なら誰しも少しでも上を目指して戦いたいという向上心を持っている》
「甲子園で投げたくない」説は本当だったのか
ファンの受け止め方はさまざまだった。応援してくれる声もあった。だが「8、9割は悪いことばかりでした」と明かす。タテジマのユニフォームを身に纏いながら、視線はアメリカに向いているのではないか。
裏切り者――。
そんなレッテルを貼られた。メジャー志望を公言することなく、秘めることだってできた。だが、井川は非難されることを受け止める覚悟で、意思を伝えたのだ。
「(メジャー志望を)言わないと前には進まないという思いがありました。批判されるのもわかってやっていたことでした」
あるとき、こんなうわさが飛び交った。
「井川が『甲子園で投げたくない』と言っている」
かわいさ余って憎さが何倍になるのかはともかく、すこし打たれるだけで罵声を浴びた。だが、うわさには彼に付きまとう負の感情に引きずられ、曲解されたところもあった。井川の真意はちがう。
「甲子園はバックネット裏のフェンスが低くて、お客さんが視界に入るから、遠近感が取りづらいんです。たとえば、横浜スタジアムは審判とキャッチャーの距離が見えて、自分の距離も測れるから投げやすい。ビジターが得意だったということでした」
甲子園のマウンドから見た“違和感”を口にするだけでも話は飛躍していった。
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井川はそれほど大きな存在になっていたのだ。彼にエースの自覚が芽生えたのは、22歳だった01年である。捕手の山田勝彦に言われたことで、自らの立場に気づかされた。