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「男子チームで主将」「水族館リフティング」“天才サッカー少女伝説”は本当? なでしこ谷川萌々子本人に聞く「親元を離れて福島に」12歳の転機
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byN.G.E(L)/JMPA(R)
posted2024/09/01 11:07
パリ五輪での谷川萌々子。グランパスのスクール時代など、幼少期の頃に作った“伝説”とは
ブラジル戦での谷川はゴール以外にも様々な形で、なでしこジャパンに流れを引き寄せた。熊谷紗希の同点PKにつながった相手のハンドも彼女が仕掛けたもので、そこにも非凡さが垣間見える。
そのシーンを振り返ってもらうと「コーナーキックからの流れでしたよね」と、鮮明な記憶とともに自らが下した判断をこう語る。
「クロスが上がる時点で、ワイドのポジションを取ってフリーであることは認識できていました。私の前にいた(高橋)はなさんが競り合う時に『スルー!』って言葉をかけて、はなさんもその声が聞こえたようでスルーしてくれました」
まず谷川は「フリーなのでシュートを打とう」と考え、ボールの置き所を決めた。ただそのコンマ数秒後のことである。
「相手のディフェンスがすごく勢いよく飛んでくるのが見えたんです。そこで『じゃあ切り返してみよう』と。そこからのドリブルが相手の手に当たったのは運がよかったですが、シュートから切り返しに選択肢を変えられたことはよかったなと」
名古屋や福島で育んだサッカーIQが輝いた
実は、なでしこジャパンデビューを飾った2023年12月でのブラジル戦でも、谷川はPKを奪取している。その際は相手に引っ張られてのファウル誘発だったが、同じく右サイドからの突破での“成功体験”もあった。「ペナルティーエリア内に入ったら、アドリブを持ってどんどん仕掛けていこう」と振り返る通り、相手に臆することもなかった。
さらに得点にこそ直結しなかったが、年上のブラジル選手とのデュエルでボールを奪い、決定的なスルーパスを送る場面もあった。名古屋や福島の地で着実に育まれたサッカーIQは、わずか20数分の出場時間でも遺憾なく発揮されたのだった。
そんな谷川の才能を、すでに見逃していなかったのが……ドイツの名門FCバイエルン・ミュンヘンだった。
<つづく>