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「負けるとは思っていました」6点差で迎えた9回裏…それでも日本文理は笑顔だった 15年前の甲子園決勝、あの“世紀の追い上げ”はなぜ起きた?
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2024/08/22 06:02
中京大中京との決勝戦では6回裏に6失点。試合の趨勢は決まったように見え、選手自身も「負けると思った」と振り返る
西条との決勝戦。延長14回まで粘りのピッチングを見せていたが15回に力尽きて6点を失い、甲子園をひとりで投げ抜いた大井はあと一歩で優勝を逃した。この経験から監督となった大井は、連投するピッチャーの体調面、特に食事の様子には目を配るようになった。
中京大中京との決勝戦の朝。
大井は朝食会場で伊藤に目を光らせる。すると、前日までお代わりをしていたような男が、ちびちびと麺をすすっている。明らかに食が進んでいないように映った。
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「『やっぱりへばってるなぁ』と思った。でも、うちにはほかに決勝を任せられるピッチャーがいないしどうしようかな、と」
伊藤と二枚看板としてこの年のセンバツでも登板した本間将太は右ひじの故障のためメンバーから外れており、2年生左腕の奥浜真隆と1年生の高橋洸は、新潟大会で少しはマウンドを経験しているとはいえ、甲子園決勝の大舞台では力不足感は否めない。
日本文理の選択肢は限られていた。監督の逡巡を察知してか、キャプテンの中村大地と副キャプテンの切手孝太が頭を下げてきた。
「今日はなんとか、伊藤に最後まで投げさせてやってください」
選手の申し出に監督も覚悟を決める。「いけるか?」と意志を確認し、「いきます!」と威勢よく返してくれた伊藤に宣言する。
「よし! どんなに打たれても俺は変えないからな。最後まで頑張れよ!」
ようやく決勝戦の方向性を固められた大井は、選手たちを前に晴れやかに言った。
「勝っても負けても、笑顔で新潟に」
「お前たち、今日は俺と約束してくれ」
日本文理が、笑顔で誓いを共有した。
「勝っても負けても、笑顔で新潟に帰ろう!」
選手たちからすれば、勝敗を度外視したとしてもそれなりに得点できる自信はあった。
「堂林は打てるでしょ」
中京大中京のエースで、おそらくは決勝戦でも先発マウンドに上がるであろう堂林翔太(現広島)に、すでに照準を合わせていた。
4番バッターの吉田雅俊と5番の高橋義人が、確信めいたように口を揃えていた。
「県立岐阜商の山田(智弘)がすごくよかっただけに、堂林くらいなら別にって。映像で見ても球が遅かったし」
堂林の脅威は、ピッチングより4番バッターとしての非凡なバッティングにあった。