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「関田くんは歴代No.1」では、なぜもう一人のセッターが37歳深津旭弘だったのか? 元日本代表セッター・朝長孝介が語る“二番手”の重要性
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byL)Volleyball World、R)Takahisa Hirano
posted2024/08/01 17:03
セカンドセッターとしての役割を全うする深津旭弘(右)。絶対的な存在だった関田誠大に対し、その人選はブラン監督の頭を悩ませた
朝長が日本代表に初めて選出されたのは2005年。当時は2学年上の宇佐美大輔(現・雄物川高監督)が正セッターを務めるチームで、技術と身体能力に長けた宇佐美に対し、「不器用で泥臭いほう」と自身を揶揄する。
「あくまで僕の感覚ですけど、宇佐美さんも持っていきたいところにボールを持っていく技術はずば抜けていて、8割ぐらいは自分が思うところに持っていけていたんじゃないかな。でも関田くんは9割。運動量も多いし、ボールの下に入るのも速い。僕はよくて6割、という選手だったので、同じセッターとはいえ関田くんと比べたら僕が地面で、彼は天井を突き抜けるぐらいレベルが違う(笑)。こんな風に語らせてもらうのもおこがましいです」
北京五輪で味わった“5戦5敗”
2008年の北京五輪は男子バレー日本代表にとってバルセロナ五輪以来、16年ぶりに出場権を掴んだ大会だ。最終予選の初戦ではイタリア代表から2セットを取り、第4セットも24対17と7点をリードしてマッチポイントとしながら、まさかの逆転負け。失望を越えて絶望にも近い雰囲気が漂う中、その後4連勝し、6戦目のアルゼンチン戦で劇的な勝利をあげて切符を掴み取った。
そうして生まれた空前の盛り上がりの中、五輪本番を迎えた。
大会前の国内合宿や、空港での出発時には取材陣が殺到。監督・選手は声高に「メダルを狙います」と宣言したが、現実は甘くない。結果は5戦5敗。1勝もできぬまま帰途についた。
だからこそ、自信を持って「金メダルを目指す」と公言する現在の日本代表はすごい。そう称賛しながら、朝長は当時と今の違いを挙げる。
「バレー自体が変わっているのもありますけど、スパイカーのレベルが上がったというのも大きい。僕らの頃は国内でプレーする選手だけで戦っていたので、やはり国際大会になって、いざ海外の選手と対戦すると気持ちが完全に引いていました。
でも今は石川(祐希)くんを筆頭に、海外でトップレベルの選手たちと戦い慣れているから引くことなんてない。なおかつそれを活かせる関田くんがいる。本気で『メダル』と言えることが素晴らしいし、『こんなチームになりたい』と憧れる日本代表は初めてじゃないかと思わせるぐらい魅力溢れるチームだからこそ、みんなが応援する。僕も練習から見に行きたいぐらいです(笑)」
何もかもが自分とは違うと褒め称えるが、思わぬところに関田との共通点もあった。朝長の現役時代にまつわるエピソードに触れた時だ。