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「身長伸びすぎて病院に…」男子バレー“204cm”山内晶大の母が語る、スポーツと無縁の息子の運命を変えた電話「お母さん、学校に来てください」 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byL)Naoya Sanuki/JMPA

posted2024/07/30 17:00

「身長伸びすぎて病院に…」男子バレー“204cm”山内晶大の母が語る、スポーツと無縁の息子の運命を変えた電話「お母さん、学校に来てください」<Number Web> photograph by L)Naoya Sanuki/JMPA

いまや日本代表を牽引する立場となった山内晶大(30歳)。学生時代はアスリートになることなんて想像もできなかったという

 残念ながらと言うべきか、いや、後にバレーボール選手になる未来を知っている身としては幸いにも、と言うべきか。中学には晶大よりもバスケットボールがうまい子たちがたくさんいた。もともと、生まれ育った愛知県はバスケットボール部のチーム数も多く、競争が激しいため、いくら身長が大きいからとはいえ、簡単に活躍できる環境ではなかった。

「絶対勝てるという試合で、やっと出してもらえる。性格的にグイグイ行くほうじゃなかったから、遠慮しちゃっていたんでしょうね」

 パリ五輪に出場する日本代表選手のほとんどが、小中の頃から全国大会に出場し、高校や大学ではタイトルを獲得してきた経歴を持つ。同じ境遇の小野寺ですら、2mに迫る身長と将来の可能性を買われて名門・東北高校から声がかかったほどだ。

 山内も卒業する頃には身長180cmを超えていたが、バスケットボール部からも、当然、バレーボール部からも声はかからなかった。

「スポーツを基準に進路を選ぶ」選択などなく、将来何がしたいかと言われても当時の晶大にはコレというものはなかった。晶大は漠然と将来の就職を想定し、資格が取れる名古屋市立工芸高校を選んだ。

 だが、不思議なもので、そこで転機が訪れる。

 高校ではハンドボールを始めようと体験入部をしたが、外のコートでガツガツぶつかり合う現実にひるんでいた。そんな山内に「バレーボールをやらないか」と声をかけたのが当時の顧問・志水洋監督だった。

「弱いから試合は観に来ないで」

 名古屋市立工芸高は強豪校のそれとは程遠く、ほとんどが初心者で、木曜と日曜は練習が休み。バレーボール初心者の山内にとっても、ノーストレスで楽しめる環境だった。ただ、バスケットボールと同様に強豪ひしめく愛知県で地区予選の2回戦に進めるかというのが現状。純子さんは晶大から「弱いから試合は観に来ないで」と言われていたという。

 それでも、気になってしまうのが親というもの。こっそり見に行くと、想像を遥かに上回っていたと純子さんは回想する。

「見ていられないですよ。何がひどかったとか、どんな展開だったとか、もう覚えていないぐらいひどかったです(笑)」

 バレーボール生活を激変させたのが、高校2年の春休みだった。

【次ページ】 「バレーボールで大学に? うちの晶大が?」

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