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「バレー界のゴクミ」と呼ばれ…17歳で五輪候補に選ばれた元日本代表・斎藤真由美が感じた「知らない人が自分を知っている」という怖さ
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byL)AFLO、R)Miki Fukano
posted2024/07/25 17:01
現役時代はバレーボール日本代表にも選出され、現在は群馬グリーンウイングスで監督を務める斎藤真由美さん(53歳)
「知らない人が自分を知っている」という怖さ
ところが、故障した選手の代わりに急遽出場することになったワールドカップの初戦、斎藤さんの活躍もあって日本が勝利を収めたとたん、斎藤さんの世界は一変した。斎藤さんがというよりは、日本代表チームがといったほうが正しいかもしれない。
「そこで初めて『日本代表ってこんなに注目されるものなのだ』と実感しました。直後、電車の中吊り広告に自分の写真が派手に使われたり、駅の柱に自分の写真が大きく載る。大会中、別の都市に移動をしたのですが、その最中にそうやってどんどん環境が変わっていきました。勝つたびに、メダルが近づいていくたびに自分が注目されていることを実感するんです。『うわっ、これはもう外に出られなくなるな』という感じになってしまって」
同じように人気に火がついた益子直美選手も、その影響を受けた一人だった。
「益子先輩は当時、つま先に『必勝』って書いてある靴下を履いていたんですが、それがメディアで紹介されたら、その靴下が全部売り切れるとか……。当時、原宿の竹下通りにブロマイドを売っている場所があって、そこにも自分の写真が出回りました。そのとき初めて、知らない人が自分を知っているという怖さを感じましたね」
日本代表で斎藤を守ったのは、先輩・中田久美だった
ただし、日本代表チームでは嫉妬による嫌がらせ等、胸の痛くなるような思いはしなかったと振り返る。
「当然わたしがレギュラーになることで、自分より年上の先輩たちの誰かは外される。風当たりは強くなるだろうと覚悟していました。でも当時は中田久美先輩がいて、中田先輩が優しく接してくださった。部屋に呼んでくれて『わたしは15歳で代表に入った』と。そのせいで味わった辛さも経験しているので、おそらくわたしのことを心配してくださったんでしょうね。ビデオテープで日本代表に入ったばかりの中田先輩の動画を見せてくださって『マッチョ(斎藤さんのニックネーム)は当時の私よりも全然うまいんだから、何の心配もせず思いっきりプレーしなさい』と言ってくれました」
同じように苦労した先輩が盾となり、斎藤さんを守ってくれたのかもしれない。
「日本代表には素晴らしい見本となる先輩がいっぱいいて、こういうプレーをしたいと思ったら、その先輩の後ろについてレシーブ練習をして……。厳しい勝負の世界ですから、教えてもらうのではなくて、技術を盗むという思いで練習をしました」
トレーニングにしても「あの先輩は〇キロを何回上げていた。それならば、わたしはそれ以上上げてやろう」と、先輩を超える量の練習を自らに課した。そうやって結果を残すため、見えないところで努力した。
その成果もあり、斎藤さんは自分のプレーに手応えを感じるほどとなった。周囲からの声も、「プレーで黙らせる」ことができるようになった。