- #1
- #2
濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
急逝から19年…“破壊王”橋本真也はどんな父親だった? 火葬場で泣き崩れた長男・橋本大地はプロレスラーに「使命感みたいなものがあった」
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by本人提供
posted2024/07/19 11:00
“破壊王”橋本真也は子供たちに対し、時に厳しく指導し、遊ぶときは全力で向き合った
なぜ父の団体ZERO-ONEを去ったのか?
それでも、デビューして1、2年が経つと自分のキャリアに疑問を抱くようになった。父が作ったZERO-ONEで、蝶野、武藤や大谷晋二郎など父をよく知る人間に囲まれていていいのか。
「自分にはこの環境じゃないほうがいいのかもしれない」
独り立ちをテーマにZERO-ONEを退団すると、アントニオ猪木のIGFへ。
「で、IGFをクビになって拾ってもらったのが大日本です。どインディー団体で好き放題やらせてもらってますよ。所属期間も大日本が一番長いですね。次はどこにしようかな(笑)」
日本全国どこにでもバスで遠征し、設営も撤収も選手たちが手分けして行う。そんな環境が不思議と合っていた。それこそ誰かを特別扱いしている余裕はない団体だ。大地も“橋本真也の息子”という扱いは受けなかった。
「それに関しては感謝してますね。試合の時に“系譜”みたいな表現を使われることはあったけど、まあそのくらいはね。周りから親父のことを何か言われたりはしなかったです」
影響を受けた選手は「佐藤耕平と関本大介。あの人たちみたいな試合がしたいと思ってやってきました」と即答する。今年の父の命日には、大日本の巡業で北海道は中標津で試合をした。北海道全土を、実に11連戦。
「メジャー団体の選手にはできない経験をだいぶさせてもらってますね」
父への思い「ほぼ反面教師かなぁ。でも…」
橋本真也の息子であることを受け入れながら、橋本大地は橋本大地としてのプロレス人生を満喫している。昨年は結婚し、長男も生まれた。親としての橋本真也からの影響はどんなものだろうか。
「いいところは受け継ぎたいですけど、ほぼ反面教師かなぁ。とにかく厳しい人間だったので。叱る時もかなり厳しい言葉を使ってましたね。本当に怖くて。そういうところは反面教師。でも遊ぶ時はたっぷり時間を割いて、全力で遊んでくれた。僕の友だちも一緒に。そういうところは見習いたいですね」
もし、息子がプロレスをやりたいと言ったら。「オススメはしないです」と大地は言う。
「この世界、稼げる人間は一握りですからね。仕事としてやるなら効率はよくない。でも金じゃなく、好きでやるんならいいと思いますよ。僕もそうですからね。いま楽しいんですよ、プロレスが。ってことは結局、好きなんでしょう。“あの頃は好きとは言えなかったな”と思う時期もあるんですけど、今はやっぱりプロレスが好きですね」
《後編に続く》