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スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
「ジェイミーはエディーに負けたくなかったと思う」田中史朗が語る“南アフリカ撃破”の記憶…フミさんが提案した革命前のジグソーパズル
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byTakuya Sugiyama
posted2024/07/05 17:01
3度出場したラグビーW杯を振り返った田中史朗(39歳)
「2011年のメンバーは、今ではあまり連絡を取らなくなってしまいました。僕はスタンドオフを務めていた(ジェームス・)アレジに『誕生日おめでとう』とかメッセージを送ったりしてますが。2015年のメンバーとは、頻繁に連絡を取り合いますね。スタッフや現役を引退した選手たちは南アフリカに勝った日に集まって飲んだりしてますし、本当に家族みたいな感じになったんです」
試合に向けてチームの気持ちをまとめるために、田中もアイデアを出した。
「ハイランダーズでメンバーに鍵を配った話をしましたが、そのアイデアを応用して、日本代表ではジグソーパズルを作ってもらい、その一つひとつのピースをメンバーに配るというアイデアを出しました。試合前、準備が整ったと思ったら、自分のピースを置いていく。南アフリカ戦の前、全員の準備が整って、きれいにパズルが完成してました」
日本のラグビーの歴史が変わったターニングポイントだった。
ジェイミー&ブラウニーとの再会
2016年からはヘッドコーチがジェイミー・ジョセフ、そしてアタックコーチが三洋電機時代にハーフ団を組んでいたトニー・ブラウンに代わった。
「三洋電機時代、ブラウニーと一緒にプレーするのは、スクラムハーフとして最高の体験でした。ブラウニーはコミュニケーション、ラグビーの理解力、判断力、どれをとっても超一流で、最初は怒られてばっかりでした。そのうち、僕の判断も良くなってきてチームも勝つじゃないですか。そうするとブラウニーがホメてくれるし、勝つと楽しくて。ブラウニーは、コーチとしても世界最高峰のひとりだと思います」
田中の感覚では、トニー・ブラウンのラグビーに対する「視座」は次の次、まわりよりも数フェイズ先を見越していたという。
「レベルが違いました。それに人間的にも尊敬できます。オールブラックス、スプリングボクスで長く活躍する人たちって、みんな人間的に素晴らしいです。あれはどうしてなんですかね」
そしてヘッドコーチのジェイミーも日本代表にフィットした。