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スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
「翌日に“大ゲンカ”ですよ」田中史朗が語るエディー・ジョーンズとの初対面…あの大金星はフミさんの衝突から始まった「僕はリーチを推しました」
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/07/05 17:00
現役ラストゲームで花束を受け取った田中史朗(39歳)。セレモニーでは涙を見せたが、最後は笑顔でピッチを後にした
「その年、僕がスーパーラグビーのシーズンが終わって、途中からジャパンに合流したんです。そのとき、新聞記者の方に『チーム全員が意識を高く持ってやらないと』と、結構キツめのコメントをしたら、合流するといきなりエディーが『素晴らしいコメントありがとう』と笑って話しかけてきたんです。それが初めての会話でした。そうしたら、その翌日にジャパンをめぐって大げんかですよ。ほんまにビビったほどでした」
その話し合いは、日本代表を良くしていこうというお互いの気持ちの衝突だった。最終的には妥協点を見出す形となったが、この衝突は無駄ではなかった。
「エディーにとっては、遠慮せずに意見を言う人間が珍しかったのかなと思います」
田中はいい組織を作るためには衝突を厭わない、日本人としては珍しいタイプである。
「大学時代からそうです(笑)。京産大の時はウェイトトレーニングをするにしても、1年生だけがきちんとやって、上級生になると1年生がちゃんとやっているかどうかカウントする側に回って、自分たちは手を抜く……。それが嫌で嫌で、チームの雰囲気、考え方を変えたかったんです。それを監督に話したらぶつかってしまって、試合に出してもらえなくなりましたけど(笑)」
リーチをキャプテンに推薦した狙い
エディー・ジャパンは年を経るごとにチームとしての力を増していった。2013年には秩父宮でウェールズを破り、自信を深める。フミさんは大男相手に食ってかかるのを厭わなかった。
この時期、2015年のW杯に向け、エディーは次期キャプテンにふさわしい人物は誰か、田中に尋ねている。
「それまでのキャプテンはトシさん(廣瀬俊朗)でした。トシさんがチーム全体の意識、忠誠心を高めてくれてたんです。ただ、エディーはそこからチームを一段階上に引き上げようと新たなキャプテンを探してました。僕はリーチ(マイケル)を推しました。リーチは、ほんまにすごくて。2011年のW杯のときはまだ22歳でしたけど、体を張ってのプレーぶりはリスペクトしかなかったです。年齢に関係なく、リーチはプレーで引っ張れるのは間違いないと思っていたので、迷うことなくリーチを推薦したんです」
こうして、日本代表は2015年のあの日に向け、最終段階に入っていった。
(後編につづく)