甲子園の風BACK NUMBER
大谷翔平18歳の気遣い「この角を曲がったらダッシュしよう」水本弦が懐かしむ“日本代表・韓国の休日”「大谷選手は嫌な気持ちにさせないんです」
text by
間淳Jun Aida
photograph byChung Sung-Jun/Getty Images
posted2024/06/23 17:02
18歳以下日本代表としてともに戦った頃の大谷翔平。水本弦(右端)が知る素顔とは
国際大会で使用するバットは普段の金属から木製に変わる。夏の甲子園閉幕から1週間後に開幕する世界選手権に向けて、選手たちは木製バットを手に馴染ませる。短期間で感触をつかめるかどうかは、選手によって差が表れやすい。
バットを何本も折ってしまう選手が少なくない中、大谷はすぐに順応していた。
大会前に大学生と対戦した親善試合で、左中間に長打を放っていたという。水本が語る。
「大谷選手は柔らかさがあって、差し込まれても肘を抜いてバットが折れないようにファウルにしていました。練習でも親善試合でも、木製バットの影響を感じさせない打撃をしていました。力強さより柔らかさのイメージが強いです」
とはいえ、水本も負けていなかった。大学生との親善試合でチーム初本塁打を記録したのは、水本だった。当時を振り返って「木製バットで大谷選手より先に本塁打を打ったことだけは自慢です」と笑う。
大谷の“ある噂”は嘘ではなかった
優勝できる力があると自信を持って臨んだ世界選手権では、国際大会の難しさを痛感した。世界の強豪と互角に戦ったが、結果は12チーム中6位に終わった。決勝進出の望みを絶たれた2次ラウンドの米国戦では、森捕手が本塁上で2度も体当たりされ、試合後は病院で脳を検査した。水本は「米国や韓国と力の差は感じませんでしたが、実力以外の部分が国際大会では結果を左右すると知りました」と話す。
悔しさが残った大会で、水本の記憶に深く刻まれたのが投手・大谷だった。
5位と6位を決める開催国・韓国との一戦。大谷は敗戦投手となったものの、7回2安打2失点と好投。12個の三振を奪った。中堅から投球を見ていた水本は“ある噂”が嘘ではないと確信した。
「夏の岩手大会で大谷投手が160キロを記録したと報道されていましたが、『スピードガンがおかしいのではないか』と信じていませんでした。ところが、韓国戦で見た投球は弾丸のようでした。これは間違いなく160キロを投げられると納得する球の軌道でした」
韓国戦での投球をセンバツでされていたら…
大谷の変貌ぶりを、チームメートとして感じ取れた理由。それは対戦相手として投手・大谷と向き合った経験があるからこそだった。
世界選手権の半年前、水本は春のセンバツで大谷と対戦している。