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「“高橋藍の兄”だからサントリーに入れた…とか」“最強の弟”をもつ兄の葛藤…高橋塁が初めて明かす胸の内「それでも僕にはやる選択肢しかない」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph bySUNTORY SUNBIRDS
posted2024/05/28 17:41
サントリーサンバーズの優勝に貢献した高橋塁(24歳)。来季は弟・藍とチームメイトになる
運動神経は抜群ながら、面倒くさがり屋だった弟の藍をバレーボールに導いたのは2歳上の塁だった。
幼少期にテレビで見たバレーボールに魅了された塁は、ボールを持って毎日公園へ出かけた。見よう見まねでボールをパスする……その相手をさせられたのが弟の藍だった。
藍は塁に引っぱられるままバレーボールクラブに入り、その後も同じ中学、高校に進学した。東山高では「一緒に全国優勝を」という夢を果たすことはできなかったが、塁が卒業した2年後の2020年1月の春高バレーで主将になった藍は、「失セット0」という完全優勝を成し遂げた。
観客席にはOBとして声援を送る兄の姿があった。兄に向けて両手を掲げ、歓喜の涙を流す弟を笑顔で迎える。歩んできた兄弟の日々は“美しい物語”として報じられた。しかし兄の内心は、そこまで単純なものではなかった。
「嬉しい、悔しい、悲しい。藍が春高を勝って、今までと違うのは間違いない中で、ここからどうなるのかな、とか。2人でやってきたから、優勝したのは素直に嬉しいんですけど、でもあの時は、もっといろんな感情も込み上げて、自分の中ではすごく複雑でした。いろんな意味で、泣いていましたね」
オリンピック出場、イタリア挑戦
そんな2人が、初めてバレーボールのコートで相対したのが同じ年の12月。塁の日大と藍の日体大が全日本インカレ準決勝で激突した。勝利したのは日体大だった。そこから藍は急速に階段を駆け上がっていく。
翌夏には日本代表として19歳で東京五輪に出場。その後、日体大生として2度目の全日本インカレを終えると、セリエA・パドヴァへ渡った。
一方、同じインカレに日大の主将として臨んでいた塁は、腰を痛めていた。バレーボールができる状態ではなく、学生最後の試合はコートに立つこともユニフォームを着ることもできずに終えた。スタンドから声を嗄らし、試合に敗れた後は無造作に脱ぎ捨てた仲間のジャージを静かにたたんでいた。