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オリンピックPRESSBACK NUMBER
「お母さん、早く離婚して」“厳しすぎる父”に思わず本音がポロッと…柔道が嫌いだった斉藤立のヤンチャ少年時代「母を悩ませた“最強の遺伝子”」
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byMATSUO.K/AFLO SPORT
posted2024/05/16 11:01
3月8日、全日本合宿で22歳の誕生日を祝われた斉藤立。男子100キロ超級の代表としてパリ五輪に臨む
20歳になったばかりの斉藤は当時をこう振り返っている。
「柔道をやらされていたという感覚だったし、正直、柔道が嫌いだった。中学1年の最初の頃までは『なんでやらんとあかんのや』と感じていた部分もあった」
それを聞いた母は、笑いながらも大きく頷いた。
「小学校の頃はとくに嫌で、嫌で本当に仕方なかったと思います。ただ、少しでもそういう雰囲気を感じると、主人はすぐにそれを察するので。『お前ら、優しいお父さんでいいのか、それとも厳しいお父さんで強くなりたいのか。オリンピックに出られるような選手にしてもらいたいのか。どっちだ』と詰め寄って。そんなこと言われたら、『強くなりたいです』っていうしかないですよね(笑)。『お、そうか。じゃあこれでいいんだな』といって、さらに厳しくしていくというような感じでした」
だからこそ、ともに厳しい指導を受けていた兄とは強い絆で結ばれていた。
「悩みを共有できますからね。お父さんからどうしたらうまく逃げ切れるか、よく2人で話していたんだっていうんですよ。私にもよく『早く離婚して』と言っていました(笑)」
全国大会で優勝した矢先に……
仁さんからしてみれば愛情があるがゆえの厳しい指導だった。しかし、父の思いを理解するには幼過ぎた。斉藤にとっても兄にとっても、厳しく指導する父・仁さんの存在はまさに恐怖でしかなかったのだ。
だが、父の厳しい指導は実を結んでいく。斉藤は小学6年時に優勝した全国少年柔道大会の個人戦6試合ではオール一本勝ち。早くも将来を期待される逸材と評されるようになった。
斉藤家を思いもよらない悲劇が襲ったのは、そこから数カ月後のことだった。息子たちの指導により力を入れていこうと思った矢先、仁さんが病に倒れた。
(後編に続く)