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工藤公康に医師が宣告「このままの生活なら死にますよ」ドン底時代にプロポーズ…ソフトバンク名将語る“夫人の話”「子を生観戦させなかった」理由
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byYuki Suenaga
posted2024/05/18 11:00
ソフトバンク元監督・工藤公康がNumberWebのロングインタビューに応じた
「うちは貧乏でした。本来は高校にも行けなかった。中学を出たら働けと言われていましたから。特待がなければ進学していませんでした。欲しいものも買ってもらえない。オモチャなんてもちろん、学校で必要な習字道具だって我が家には1つしかなくて。兄が使う日は学校で『忘れました』と何度も恥ずかしい思いをしていました」
野球で活躍すればするだけ見返りがあるのがプロ。家庭を守り、養うために野球で結果を残すこと。それ以外の考えはなかった。長男・阿須加が生まれた1991年は長いプロ生活の中でも自己最多の16勝をマーク。ここから5年連続で2桁勝利を飾った。
泣く娘を前に「私は何をしているんだろう」
工藤がとにかく野球に集中できるよう、雅子さんはそのための環境を整えあらゆるサポートをした。子育てに関して工藤は「ほぼ何もしていない」というが、放棄していたわけではない。
「私が多くを干渉することはなかったですが、礼儀、挨拶、人に対する態度は口うるさく言ったと思います」
ただ一筋縄ではいかないのが子育てというもの。工藤も例外ではなかった。
「2番目の子(遥加=現在はプロゴルファー)までは特に厳しく接してました。私自身が子どもの頃、かなり厳しくしつけられたので。食事をするときは正座でしたし、おはしの持ち方が少しおかしくても怒られました。正直、手をあげられたことも。それで最初の頃は自分がされたのと同じようにするのが子育てだと思ってしまった。でも、ある時に泣きじゃくる娘を前にして、私は何をしているんだろうと心が痛くなったんです。自分が受けた教育をそのままするのは一方的な押しつけでしかないと気づきました。そうやって自問するようになって変わることが出来ましたが」
厳しい父親というエピソードについて、現役当時の工藤家では登板日にテレビの前では夫人と子どもたちの家族全員で正座をして応援をしていたと、以前見聞きした覚えがあった。