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工藤公康がダルビッシュ発言で気づいた“子育ての後悔”「長男が俳優に…妻は反対していた」長女はゴルファー…変えた二男三女への“話し方”
posted2024/05/18 11:01
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Yuki Suenaga
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仕事か、家庭か――。考え方は人それぞれだが、時代の流れとともに後者へその比重が移り変わっているのは確かだ。しかし、二男三女の父である工藤公康氏が現役だった頃には「イクメン」などという言葉がまだ世の中に存在しなかった。
「それでも私が“彼”のような言葉を自然に発せられる人間だったならば、もっと変わっていただろうなと思います」
ダルビッシュの発言に衝撃
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昨年、日本中が熱狂したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場したダルビッシュ有の発言を耳にした工藤は、かつての我が身を思って後悔と反省の念が波のように押し寄せてきたのだという。
ダルビッシュはオフ期間を一緒に過ごす「家族のことが頭にあった」という理由からWBCへの出場を悩んでいたと大会前の合宿中の会見で告白した。加えて「独身の頃は野球選手であることを一番に考えていたが、結婚して、一番の役割は夫であること。二番目に父親であることがきて、そのあとが野球選手です」とも話していた。
「私がプロに入った頃は、野球選手になったら『親の死に目には会えないと思え』と言われていました。今はそんな時代じゃない。昔のそのような考えは間違っていたと思います。良い変化をしたというのではなく、今が普通になったんです。しかし、当時はそれが当たり前だと考えていました」
「負けた試合日」の家族風景
日常生活も然りだった。遠征やキャンプなどで家を不在にすることが多かったうえに、たまに家にいても子どもたちとはすれ違う生活。ナイターが終わって帰宅するのはもちろん深夜になった。
「私の場合はそれだけでなく、筑波大学の先生のもとでトレーニングをしていたので(西武本拠地の)所沢で試合が終わった後に車で茨城まで行って、朝帰ってきて昼間に寝て球場に行くみたいな生活をするときもありましたから」
当時、工藤家の子どもたちの中には、とある“掟”があったという。