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ロッテで活躍中のブラジル人通訳はなぜ「サッカーではなく野球」に熱中した? 運命を変えた1本のコメディー映画と“日本愛”のストーリー
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byChiba Lotte Marines
posted2024/05/08 11:03
お立ち台でポランコ(右)の喜びの言葉を訳すフェルナンデス通訳
グラブなどの道具は、友達やチームから借りて始めた。「球を速く投げて、ボールを打って遠くへ飛ばす。面白いスポーツだと思いました」。未知なる野球に、すぐに夢中になった。ただ一点、この時大きな勘違いをしていた。もともとは左利きだったが、「野球は右手で投げるものだと思っていた」と無理やり右投げで始めた。だから今も右投げ。それでも後には国際大会のスカウトのスピードガンで152kmを計測したことがある。もし利き腕の左で投げていたら……今となっては笑い話だ。
「最初は、ダマされたと(笑)」
その後、野球にのめり込んだフェルナンデスは、ヤクルト本社がブラジルのサンパウロ野球ソフトボール連盟と共同運営している野球アカデミーの門を叩く。アメリカや日本でプレーする多くのブラジル人選手を輩出しているアカデミーで技術を磨きながら、その練習場所に程近いカントリーキッズ高校に通った。当時の憧れはレッドソックスで活躍したペドロ・マルティネス投手。投球フォームを真似るなどして、ピッチャーとしてのスキルを上げていった。
高校を卒業後は、さらに夢への道を突き進んだ。ブラジルから日本へ渡り、栃木県小山市にある白鴎大学に進学。毎年、日系ブラジル人を中心に生徒を受け入れているその枠で入学して、野球部に入った。
「最初は正直、ダマされたと思いました。ボクらブラジル人にとって日本って、やっぱり東京のイメージだったので。着いてみたら、周りは田んぼばかり。でも、野球という好きなものがあったので、大丈夫でした」と笑う。
単身で飛び込んだ異国に最初は慣れず、母が作ったチキンストロガノフを食べたいとホームシックになったこともある。それでも大好きな野球に熱中し、2009年に育成ドラフト1位でスワローズに入団し夢をかなえた。スワローズでチームメートになった(佐藤)由規投手とは、ともに「左利きの右投げ」だったことから「同じだね」と笑い合ったという。
11年には支配下登録され、8月のタイガース戦(京セラドーム)で一軍公式戦デビュー。12年7月1日のタイガース戦(神宮)でプロ初勝利を挙げた。第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でもブラジル代表としてプレー。スワローズ退団後も野球への情熱が止むことはなく、母国ブラジルのアマチュアチームや四国アイランドリーグplusに所属する愛媛マンダリンパイレーツやクラブチーム、オーストラリアでプレーをした。
配送の仕事も経験
一時は野球を離れて一般の仕事に就いたこともあった。血液検査の機械のパーツを梱包し配送する仕事だった。そんな時、知人から「ファイターズが通訳スタッフを探しているけど、やってみないか」と声がかかった。ブラジルの公用語はポルトガル語だが、野球を始めた時のコーチがキューバ人であったことや、国際大会などで対戦相手にスペイン語圏の選手が多かったことなどからスペイン語が話せた。プロ野球での選手経験も買われて練習パートナーとしても適任と評価され、通訳として新たな道を踏み出すことになった。
「まだプレーヤーに未練がありましたが、大好きな野球に携われる点で魅力的でした」とフェルナンデス。その後、ホークスでも通訳のキャリアを重ね、24年からはマリーンズの通訳に就任。スペイン語を母国語とするラテン系選手のサポートを行っている。