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「ノモさんは僕に再起する力をくれた」マイナー解雇→メジャー先発復帰、ドジャースの戦友・朴賛浩が今も感謝する「野茂英雄の背中」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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posted2024/04/29 11:06

「ノモさんは僕に再起する力をくれた」マイナー解雇→メジャー先発復帰、ドジャースの戦友・朴賛浩が今も感謝する「野茂英雄の背中」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

3月20日のMLB開幕戦の始球式に登場し、野茂英雄の存在について熱く語ってくれた朴賛浩

「30年前、アジア人は私一人でした。マイナー降格した翌年に野茂英雄さんがMLBに入り、東洋の扉を開いてくれた。その扉に私も飛び込んで一緒に活躍していく中でアジア人は確固たる地位を築くことができました」

ライバル意識から親友へ

 当時まだ、日韓両国は緊張関係にあった。パイオニアとして母国の期待を背負って海を渡った右腕には当初、野茂への憧れと同時にライバル意識もあったという。しかし、96年にメジャーに定着し共に先発ローテーションを担うようになると、その関係は唯一無二の「親友」へと変わった。

 野茂の背番号「16」に対して、朴賛浩は「61」。ロッカーは隣同士で、プライベートで共に食事に行くことも多かった。この頃、ドジャースの先発ローテーションは多国籍な顔ぶれが担っていた。アメリカ人のトム・キャンディオッティ、ドミニカ共和国出身のラモン・マルティネス、メキシコ出身のイスマエル・バルデス、そして韓国の朴賛浩と日本の野茂英雄が名を連ねていた。

多様な出身者が形成した先発ローテ

 当時、野茂の通訳を務めていた奥村政之氏(現・ヤクルト編成部参事、国際グループ担当部長)は、この5本柱がチーム内で「IHOP(アイホップ)」と呼ばれていたのを覚えている。「インターナショナル ハウス オブ ピッチャーズ(International house of pitchers)」の頭文字をとったもので、パンケーキが有名なアメリカのレストランチェーン店の名前とかけた愛称だった。

「それぞれの出身国の文化を背負ったピッチャーがローテーションを担っていた。“うちはアイホップ、でしょ”って誇りに思っていたし、投手同士も仲が良かったですよ」と奥村氏は振り返る。

野茂さんは僕に再起する力をくれた

 お互い切磋琢磨してドジャースを支えた二人は、1998年6月に野茂がニューヨーク・メッツにトレード移籍したことでチームメートではなくなったが、その後も友情関係は続いた。朴賛浩は特に、自身が苦しい時期を過ごしていた2007年の出来事を忘れられないと語った。

【次ページ】 野茂さんの記録に並び、超えたい

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