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「契約金は0円です」オリックスの18歳“契約金ゼロ選手”はその後どうなった?「高校生で0円って僕しかいなかった」
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byJIJI PRESS
posted2024/04/29 11:03
2000年ドラフト8位で指名され、オリックスに入団した高橋浩司。プロ生活を振り返る
「同学年の上村君は、どんどん試合に出してもらえる。なんでしょう、やっぱり、お金がかかっているからですよね。もちろん僕が逆の立場でも、たぶん、使いたくなると思うんです。そういうのもありましたし、上村君のポテンシャルも高かった。どこかで認めたくない部分、負けたくない部分もあったんで、難しかったです。
もう、扱いの差はすごかったです。先輩からも言われたりしますからね。あいつは3位、お前は8位やから、って。僕の中では、すごく悔しかったですし、でもやっぱり結果を残さないといけない世界だなというのはあったんで……。しんどかったです」
実戦経験を積み重ね、その中で自分の実力を測り、課題を見つけていく。そうしないと、野球選手は成長できない。
そのチャンスを与えるために、ソフトバンクも巨人も「3軍制」を採用した。ソフトバンクは、3軍単体で年間80試合前後を組んでいる。
しかし、高橋がプロに入ったその時代には、そうしたコンセプトも前例もない。
二軍監督も毎年のように交代した2000年代前半
二軍の試合に出たければ、結果を出して、チャンスをつかめ。それが競争社会の原理でもある。しかし、その与えられる機会が決して平等ではないのも、またプロ野球の現実だ。
ドラフト上位指名の有望株、さらには一軍予備軍、ベテランの調整の場としても、ファームの試合への出場機会が優先的に与えられる。
それは、実績や実力、期待度に応じた“傾斜配分”でもある。
その狭間で、高橋も使ってもらえることはある。しかし、1年目はわずか18試合。2年目も36試合。これでは、結果を出せと言われても、その機会すら少な過ぎる。
しかも、当時のオリックスは低迷期の真っ只中。高橋がオリックスに在籍した2001年からの4年間で、一軍の監督は4人も入れ替わった。
上の方針が変わると、二軍監督も代わる。高橋の在籍4年間で二軍監督も4人。
「上も代わるから下も代わって、ぐるぐる回って……。ホント、めちゃくちゃでしたね」
指導方針が一貫しない。チャンスは少ない。結果が出ない。
その悪循環の中で、高橋はもがき続けていた。
球界再編騒動で給料が天引き
一軍に上がるチャンスがないまま、高橋は4年目のシーズンを迎えていた。
2004年、球界再編騒動という嵐が吹き荒れた。