杉浦は「僕を助けてくれた」と言った。若き日の杉浦にとって、広岡の「ひと言」が救済の言葉となったことがある。彼の胸の内には、「あの日、感情に任せてバカな決断をしなくてよかった」という思いが今でも強くある。まずは、監督就任前、広岡がコーチだった頃のエピソードから振り返っていきたい――。

コーチ時代の広岡達朗からの温かい言葉

　それは、前任の荒川博監督時代のことだった。大洋ホエールズ戦、マウンドにはアンダースローの山下律夫。チャンスの場面で杉浦は代打起用された。

「僕は低めのボールを強く叩くことができるバッターだし、山下さんはアンダースローで低めへの制球が得意。だから、最初から低めのボールに目付けをして打席に入りました」

　初球、狙い通りのボールが来た。積極的にスイングしたものの、ファールチップとなった。その瞬間のことだった。ベンチから血相を変えて、荒川が飛び出してきた。

「荒川さんは、“どうして低めのボールを打つんだ！”と怒鳴っているから、“この場面では低めのボールしか来ないでしょう”って反論しました。そうしたら、たった1球で交代を告げられました。チャンスの場面で代打で出ていって、代打を出されるんですよ。こんな悔しいことはないですよ」

現役時代の杉浦享のバッティング。ヤクルト一筋で通算224本塁打を放った　©JIJI PRESS

　ベンチに戻った杉浦は、「こんな野球、やっていられるか！」と、怒りに任せてヘルメットを脱ぎ捨て、バットを叩きつけた。荷物をまとめて帰宅しようとしたその瞬間――。

「当時コーチだった広岡さんに呼び止められ、“試合後、ロッカーで待っていろ”と言われました。僕は、そのまま帰るつもりだったけど、その言葉を受けて、広岡さんを待つことにしました」

　試合後、いまだ怒りの鎮まらぬ杉浦に、広岡は諭すように言った。

「お前の気持ちはようわかる。本当に悔しいだろう。だが、試合では監督が絶対だ。監督の指示には、絶対に従わなくちゃダメだ。だけど、本当にお前の気持ちはよくわかる。オレも現役時代に同じ経験をしたから……」

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