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野球クロスロードBACK NUMBER
「俺を抜くってことは、完全試合だからな」…《センバツ優勝候補》大阪桐蔭の「背番号1」平嶋桂知と33年前“初出場時のエース”との数奇な縁
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Asahi Shimbun
posted2024/03/28 17:45
今季の大阪桐蔭でエース番号を背負う平嶋桂知(左)。中学時代に師事した和田友貴彦コーチ(右)は、1991年のセンバツ初出場時の大阪桐蔭のエースだった
この時点で最速は135キロ。身長185センチ、体重85キロと、体型も現在とほぼ同じくらいに成長していた。そんな彼のもとには、日大三や国士舘といった、東京の強豪校から誘いの声が届くようになっていた。
和田が平嶋から本心を聞いたのは、3年生のこの時期だったと記憶している。
「2年生の新チームになってからは、『どこに行ってもそれなりにやれるだろう』と思っていたなかで、平嶋は最初、ぼんやりと『西のほうでやりたいです』と言っていたんです。そうしたら、最終的に『大阪桐蔭で勝負してみたいです』と言われまして」
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日本代表クラスの手練れが全国各地から集結する大阪桐蔭だけに、このタイミングはどちらかと言えば遅かった。
和田がすぐに母校の野球部とコンタクトをとると、コーチの石田寿也が試合を見に来てくれると言った。
この時、和田は自信を持って伝えた。
「絶対に、損はさせないので」
平嶋は一発勝負の舞台で魅せた。ピッチャーとしては打球が右手に当たったことで降板したが、バッターでは本職ではない左打席でバックスクリーンに叩きこんだのである。
試合からしばらくして、和田のもとに電話が入る。大阪桐蔭の西谷浩一監督からだった。
「平嶋君の面倒を見させてください」
「甲子園で俺の記録を抜けよ」「はい!」
春夏合わせて9回の日本一を誇る名門への進学を決めた平嶋は、夏に結果を残した。
キャプテンでエース。そして、「一番いいバッターだから多く打席を回したい」という森川の意向により、1番バッターとしてもチームを牽引。稲城シニアにとって初となる日本選手権に出場し、ベスト4まで勝ち進んだ。
進学と大会の両方で「初」の実績を築き、稲城シニアを卒団した平嶋は、大阪桐蔭2年時の昨年に最速となる154キロを計測し、早くも「プロ注目」と呼ばれる存在となった。新チームとなった秋には、エースとしてチームトップの10試合に登板し、近畿大会優勝に不可欠なピースとして機能した。
今年の松の内。大阪から帰省中だった平嶋に、和田は冗談交じりに注文を付けた。
「甲子園で俺の記録を抜けよ」
教え子が威勢よく「はい!」と答える。おいおい。和田が目を丸くしながら返す。
「抜くってことは、完全試合だからな」