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元祖・天才少女が苦しんだ誹謗中傷と世間の冷たい視線「まるでサーカス」「ボギーで観客が失笑」ゴルフ界から消えたミッシェル・ウィーの今
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph byAP/AFLO
posted2024/03/11 06:00
昨年の全米女子オープンを最後に第一線から退いたミッシェル・ウィー(2023年12月撮影、34歳)
2004年のソニー・オープンから2008年のリノタホ・オープンに至るまで合計14の男子の試合に挑んだものの、予選を通過できたのは、アジアツアーの1試合のみ。それ以外はすべて予選落ちを喫したウィーは、ついに男子ゴルフへの挑戦に終止符を打った。
それより3年前の2005年には、16歳で米LPGAのQスクール(予選会)に挑み、狭き門を軽々突破。しかし、年齢制限に阻まれ、18歳の誕生日を迎えるまでは、正式メンバーとしてのフル参戦はできないと告げられた。
そのころから、ウィーの姿はどこにも見られなくなり、「天才少女はバーンアウトして消えたのでは?」などと囁かれていた。
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そんな折り、ウィーが名門スタンフォード大学へ進学したというビッグニュースが全米を駆け巡り、かつての人々の好奇の視線は、今度は羨望の眼差しに変わった。
以後、彼女は大学生活を送りつつ、19歳になった2009年からはLPGAに正式参戦。女子大生としてキャンパスライフを謳歌し、そして女子ツアーの選手として女子ゴルフ界の頂点を目指し始めたウィーは、以前とは別人のように明るい表情を輝かせていた。
ゴルフより家族を優先
しかし、幼いころから酷使してきた彼女の肉体は、すでにボロボロに近い状態だったようで、手首や膝、腰などを次々に故障。LPGAで挙げた勝利は、かつての天才には似つかわしくない、わずか5勝に留まり、その中の1つとなった2014年全米女子オープンのタイトルは、ウィーの勲章となった。
2019年にNBAのゴールデンステート・ウォリアーズのディレクター、ジョニー・ウエスト氏と結婚。翌年、長女のマケナちゃんを出産すると、ウィーの人生のプライオリティは、ゴルフではなく家族になった。
そして、2023年の全米女子オープンを最後に戦いの世界から身を引き、妻として母としての生活を優先すると決意した彼女は「後悔はない」と言い切った。
そして、世間の冷たい視線や好奇の目にさらされながら、それでも男子ゴルフの世界に挑んだ若かりし日々の自分自身を「大胆だった」と振り返った。
その一言に彼女のどんな想いが込められていたのか。「怖いモノ知らずだった」「無理や無茶をした」といった反省の念も、少しぐらいは抱いていたのではないだろうか。
しかし、誰もやらないこと、誰もやろうとしないこと、そして誰もやらなかったことを、「大胆にも私はやったのだ」という満足感と「大きな夢を見るのは楽しかった」という達成感が溢れていたように感じられた。
大胆だったからこそ、後悔はない。だからこそ、かつての天才少女は早々に第一線から身を退き、自ら「消えた天才」となる道を選択したのではないか。私は、そう思っている。