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マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「やっぱり向こうなの?」「留学というか、旅行レベルのイメージですね」…《大谷翔平結婚》の報で思い出す、高校時代に語った“MLB挑戦”秘話
posted2024/03/13 06:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
JIJI PRESS
WBCでの大活躍、ア・リーグ本塁打王&MVP獲得、ドジャース移籍、そして突然の結婚発表と、昨年3月のWBC以降、多くの話題を日本に届けた大谷翔平選手。振り返ってみれば、ここまでの道のりは波乱万丈なものでした。
高校時代のMLB挑戦表明、そしてそこからのドラフト狂騒曲……3月20日に韓国でのドジャースデビュー戦を迎える“二刀流”の軌跡を振り返ります。<全2回の1回目/2回目「ドラフト狂騒曲」編を読む>
花巻東高のグラウンドというのは、よく手入れされたゴルフ場のような「花巻公園」の隣というか……印象としては公園の中にグラウンドがある。
公園にぶらりと散歩に訪れた人が、通りすがりに、すぐそこで花巻東の練習を眺められる。こんな環境の「強豪校」のグラウンドなんて、なかなかないだろう。
開放的で、社会性があって、何より四季の自然がすぐそこにあふれていて、これ以上ないすばらしい環境の野球部グラウンドだ。
グラウンドを訪れると、まず女子マネージャーさんや選手たちの挨拶に迎えられる。
よくある「野球部あいさつ」ではない。「こんにちは!」というはっきりした明るく軽やかなあいさつは、そのまま世の中のどこででも通用する「本当のあいさつ」だ。
花巻東高・大谷翔平選手のもとを何度も訪れていたのは2012年。彼が高校3年生の頃だ。
高3時の大谷が「お荷物、お持ちいたします」
初めてグラウンドに大谷選手を訪ねた時、こちらに気づいた彼は向こうの方から駆け寄って来て、あの丸顔に満面の笑みで「お荷物、お持ちいたします」。重たいバッグを持ってくれて、ネット裏の監督室に案内してくれた。
すべては佐々木洋監督のご指導の賜物なのだろうが、ここまで「歓待」してもらったら普通はハートわしづかみである。私も、もちろんそうだった。
3年春のセンバツは、股関節の故障で本調子になく、岩手県大会で「160キロ」をマークしていた3年夏も、決勝戦の盛岡大附戦で敗れ、最後の夏も「全国制覇」の夢を絶たれていた。