マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER

「やっぱり向こうなの?」「留学というか、旅行レベルのイメージですね」…《大谷翔平結婚》の報で思い出す、高校時代に語った“MLB挑戦”秘話 

text by

安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

PROFILE

photograph byJIJI PRESS

posted2024/03/13 06:00

「やっぱり向こうなの?」「留学というか、旅行レベルのイメージですね」…《大谷翔平結婚》の報で思い出す、高校時代に語った“MLB挑戦”秘話<Number Web> photograph by JIJI PRESS

花巻東高時代の大谷翔平。当時は高校卒業後に日本の球団を経ずにMLBに挑戦するという異例の選択を表明していた

 現役を上がった3年生の秋。

 大谷翔平選手は、連日、新チームの練習に参加していた。

「故障もあって、そんなに結果を残せなかったんで。夏が終わって、一週間ぐらいは何も考えられない……というか、今まで目の前の視野いっぱいにあった野球が急になくなってしまって、何をしていいのかわからない。まだ、みんな、甲子園で野球やってるのに……」

 それだけに全力を注いでいた「高校野球」の喪失感を、そんな表現で話してくれていた。

「バッティングピッチャーとして練習に協力しながら、自分の練習もしています。ここで培ってきた自分の技術を、練習している自分を見て、後輩たちに感じ取ってもらえたら。出来れば、夏の甲子園に連れて行って、みんなに『甲子園ってこんな所なんだよ』って教えてあげられたらよかったんですが」

 後輩たちに何かを残していくことが、今のつとめだとも話していた。

日本中の注目を集めた「メジャー挑戦」という進路

 一方でこの時期の大谷翔平選手は、その進路をめぐって「渦中の人」にもなっていた。日本のプロ野球志望から、メジャー挑戦に舵をきりつつある時期だったからだ。

 大谷翔平選手と私とのやりとりは、「進路については一切触れません」というのが前提にあった。

 悩み、迷っていることに触れられる不快感はわかっていたつもりだったし、それ以上に訊いても彼はほんとのことを答えないだろうと感じていたからだ。

「ここで3年間教わったこと、守ってきたことを崩さずにやっていくだけです。高校3年間で、いいこと、よくないこと、いろいろありましたけど、そのつど、地域の人たちにすごくよくしてもらった。今の自分があるのも、支えてくれた人たちの存在があったからこそなんです。プロに行っても、自分の給料を支えてくれているのはファンの方たちなんだって、そこは決して忘れないようにしていきたいと思ってます」

【次ページ】 「やっぱり、向こうなの?」の問いに高校生の大谷は…

BACK 1 2 3 4 NEXT
大谷翔平
花巻東高校
佐々木洋
ロサンゼルス・エンゼルス
ロサンゼルス・ドジャース

MLBの前後の記事

ページトップ