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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
大谷翔平は「2個下」と明かしてくれたが…「松坂大輔と柴田倫世アナ、ダル・山本聖子夫妻、田中将大は里田まい夫人」日本のエースと“姉さん女房”史
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2024/03/03 11:01
祝・大谷翔平結婚!ダルビッシュ有ら日本が誇る絶対エースの「結婚前後」の成績はどんな感じ?
翌99年の西武、高知キャンプでは「影武者」が出るほどの騒ぎとなる。松坂は高卒1年目からエースとして活躍。1年目から3年連続で最多勝。圧倒的な成績を残す。イチローとはNPBではわずか2年しかキャリアが重なっていないが名勝負を演じて「自信が確信に変わった」との名言を残している。
デビューから3年連続最多勝を飾った松坂だが、翌2002年は故障で規定投球回数に到達せず。しかし03年に16勝、04年には10勝と盛り返し、この年も最多投球回を記録し、最多奪三振のタイトルも獲得。西武、パ・リーグのエースとして君臨した。
この年、中日ドラゴンズとの日本シリーズは第7戦までもつれる接戦となるが、松坂は最終戦にも中継ぎで登板する活躍で、日本一に。この直後に元日本テレビで、フリーアナウンサーの柴田倫世さんとの結婚を発表した。松坂は24歳、倫世夫人は29歳だった。
05年:松坂大輔の成績(西武ライオンズ)
28登板14勝13敗215回226奪三振、防御率2.30(3位)
翌06年の第1回WBCではエースとして活躍し、MVPに輝く。この年、シーズンオフにポスティングシステムでのMLB挑戦を表明。複数の球団の争奪戦となったが、ボストン・レッドソックスが5111万ドル余の契約金で指名権を獲得し、入団が決まった。移籍1年目の07年は15勝、08年は18勝とエースの活躍。09年の第2回WBCでも大活躍してMVPに輝いたが、このシーズンは不振だった。
以後、11年にはトミー・ジョン手術を受けるなど不振が続き、16年にはNPBに復帰しソフトバンク、中日、西武と移籍するも往年のマウンドを見せることはできなかった。倫世夫人はアメリカに生活の拠点を置き、松坂とともに歩んでいる。
ダルビッシュは“日米でターニングポイント”に
〈ダルビッシュ有〉
大阪府羽曳野市出身、東北高校に進み、長身から繰り出す圧倒的な速球で、春夏の甲子園に4回出場、最高は準優勝だった。
04年ドラフト1巡目で北海道日本ハムファイターズに入団。05年は5勝だったが2006年は12勝を挙げ、ローテーションの柱となる。07年8月、ダルビッシュは「女優の紗栄子さんと婚約している」と自ら発表した。