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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
祝・大谷翔平結婚!「落合博満・信子夫人は三冠王」「イチローと弓子夫人、鈴木誠也&畠山愛理夫妻は…」“結婚1年目の大打者”を大調査
posted2024/03/03 11:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Nanae Suzuki/JIJI PRESS/Makoto Kenmizaki
まずはめでたい。4年に1度しかない2月29日の夕方に報じられた「大谷翔平結婚」のニュースは文字通り、日本全国を駆け巡った。多くの老若男女が「私の夫に、娘の婿に、孫娘の婿に」と願った大谷翔平は「誰か」を伴侶に選んだ。NumberWebにて独占インタビュー記事の抜粋が公開されているが……本人の言葉こそ、すべての真実。余計な詮索は野暮であろう。
過去にも、結婚が騒がれたスター選手は多いが、結婚したそのシーズン、選手はさらに奮起して活躍したのか、それとも? そこで過去の名選手の「結婚したシーズン(翌シーズン)」の成績を調べてみた。二刀流の大谷翔平に敬意を払って打者、投手それぞれに分けて紹介する〈全2回の打者編/投手編も〉。
ミスターは東京五輪で亜希子夫人に一目惚れ
〈長嶋茂雄〉
1958年、東京六大学の本塁打記録を更新して立教大学から鳴り物入りで巨人に入団した長嶋は、59年には史上初の「天覧試合」で、昭和天皇、皇后の見守る中、劇的なサヨナラホームラン。プロ野球が「ナショナルパスタイム」になったのは、長嶋茂雄の活躍があったからだ、とされる。
64年オフ、東京オリンピックが開催される。報知新聞社は「ON東京五輪を行く」という特集を企画、長嶋は五輪会場で、コンパニオンをつとめた西村亜希子さんと対談。アメリカの大学に留学歴があり、英語にも堪能で明るく美しい彼女に長嶋は一目ぼれ。猛アタックをしてわずか40日後に婚約、翌65年1月にカトリック教会で挙式した。長嶋茂雄28歳、亜希子さん22歳だった。
1965年:長嶋茂雄の成績(読売ジャイアンツ)
131試合503打数151安打17本塁打80打点2盗塁、打率.300(5位)
64年に続き2年連続で無冠に終わる。17本塁打は60年に続きワースト2番目、2盗塁はワースト。ベストナインには選ばれたが、長嶋にしては冴えない年だった。
なおこの年から読売ジャイアンツの空前の9連覇、V9が始まっている。
この年オフには「結婚してダメになったとは言われたくない」と翌年の奮起を誓った長嶋は、翌66年に打率.344で5度目の首位打者になり、3度目のMVPに輝いている。なお66年1月26日に長男の長嶋一茂が生まれている。
王さんとご夫人の馴れ初めは“雨宿り”
〈王貞治〉
早稲田実業時代は投手として春の甲子園で優勝投手。巨人に入団後は一塁手、打者に転向するが、当初は三振が多く「王、王、三振王!」と揶揄される。
しかし荒川博コーチとマンツーマンの特訓を経て62年に「一本足打法」を確立。この年から13年連続で本塁打王を記録するなど、NPB史上最強打者へと成長する。