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大谷翔平は「2個下」と明かしてくれたが…「松坂大輔と柴田倫世アナ、ダル・山本聖子夫妻、田中将大は里田まい夫人」日本のエースと“姉さん女房”史

posted2024/03/03 11:01

 
大谷翔平は「2個下」と明かしてくれたが…「松坂大輔と柴田倫世アナ、ダル・山本聖子夫妻、田中将大は里田まい夫人」日本のエースと“姉さん女房”史<Number Web> photograph by JIJI PRESS

祝・大谷翔平結婚!ダルビッシュ有ら日本が誇る絶対エースの「結婚前後」の成績はどんな感じ?

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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 MLBに挑戦した日本人選手は、打者よりも投手の方が早かった。大谷翔平の結婚を祝して……絶対エースとして海を渡った日本人投手たちは結婚したシーズンやその前後にどんな活躍を見せていたのか? パイオニアとしての野茂英雄から紹介しよう。<全2回の投手編/打者編も>

パイオニア野茂は社会人野球時代の縁で

〈野茂英雄〉
 大阪府立成城工業高時代は全くの無名で、新日本製鐵境に入団し頭角を現す。1988年のソウル五輪では日本の銀メダル獲得に貢献。翌1989年ドラフトでは史上最多の8球団が指名する中、近鉄バファローズが指名権を獲得した。

 1年目の90年にいきなり最多勝、最多奪三振、防御率1位と「投手三冠」を達成。新人王に加え、沢村賞、MVPを獲得。一躍パ・リーグのエースになる。

 野茂英雄は2年目の91年に森本紀久子さんと結婚。紀久子夫人は社会人野球東芝のチアガールをつとめていたが、社会人時代の野茂が対戦相手ながら紀久子さんを見初めて交際に発展したという。野茂英雄は23歳だった。

1992年:野茂英雄の成績(近鉄バファローズ)
30登板18勝8敗216.2回228奪三振、防御率2.66(4位)

 デビューから3年連続で最多勝、最多奪三振を記録(当時は奪三振はタイトルではなかったが)。パ・リーグのエースの座を堅持した。

 翌93年も最多勝、最多奪三振を記録するが、94年は肩を故障して成績が下落。このオフに野茂はMLB移籍を求めて球団と対立し、任意引退処分となってロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約。しかしここから開幕ローテーションを勝ち取り、13勝6敗191.1回236奪三振、防御率2.54で新人王、最多奪三振を獲得。

 日本人MLB選手のパイオニアとなった。野茂のアメリカでの活躍には、夫人のサポートがあったのは間違いない。

松坂は日本一になった04年オフに柴田アナと

〈松坂大輔〉
 横浜高校時代は無双の活躍。1998年夏の甲子園決勝ではノーヒットノーランを記録。同じ1980年度生まれの「松坂世代」のフラッグシップとして、大きな期待を背負って98年ドラフトで3球団が指名する中で西武ライオンズに入団が決まる。

【次ページ】 ダルビッシュは“日米でターニングポイント”に

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