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高校生で世界新記録→大学で大スランプに…競泳界の《消えた天才》山口観弘が告白する“黄金世代”の苦悩「大也や公介の活躍は嬉しかったけど…」
text by
田坂友暁Tomoaki Tasaka
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Yuki Suenaga
posted2024/02/25 11:01
高3時に世界記録をマークした翌年には日本選手権も初制覇した山口。一方で、その後は長いスランプに陥ることになる
大学を卒業するころには胸郭出口症候群、四辺形間隙症候群、腱板損傷と関節唇損傷の4つの合併症を起こすまで、山口の身体は壊れていた。
「卒業するころには、もう自分で自分の身体をコントロールできないところまできてしまっていました」
山口は世界的に活躍するアスリートが多い「大谷世代」と言われる1994年生まれだ。
同年代の水泳界にもトップクラスの逸材が多かった。代表格は、高校3年生でロンドン五輪に出場し、400m個人メドレーで銅メダルを獲得した萩野公介である。他にも萩野のライバルで、今もなお現役選手として活躍し、先日のドーハ世界水泳では7大会連続のメダルを獲得した瀬戸大也(CHARIS&Co.)など、名前を挙げれば切りがない。
その萩野は、山口と同じ東洋大学のチームで研鑽を積んでいた。
同じように練習し、トレーニングをしているのに、どんどん結果の差は広がっていく。同級生たちの中にも記録を伸ばし、日本代表として世界に羽ばたいていった選手たちも多くいた。そんな状況を、当時の山口はどう感じていたのだろうか。
「ほかの選手の活躍は、単純にうれしかったです。特に(瀬戸)大也とは仲がよかったですし、僕と同じくロンドン五輪を逃して苦労していた面も知っているから、2013年に一緒にいった世界水泳で金メダル(400m個人メドレー)を獲ったときは、本当にうれしかったですね」
不調の中で…競技を続けられたモチベーションは?
一方で、周りの選手たちが結果を残す中で、どれほど頑張っても自分の記録は停滞したままだった。では、一体何をモチベーションに大学4年間を乗り越えられたのだろうか。
そう尋ねると、山口は「実は僕も現役時代に『自分のモチベーションってなんなんだろう』って考えたんですよ」と笑う。
はたと気づいたのは、日本競泳界の“レジェンド”の存在だった。
「五輪で金メダルを獲ることは、もちろんモチベーションのひとつでした。でも、それよりも大きかったのは北島康介に勝つこと。小学4年生の時に2004年のアテネ五輪での活躍を見てから、『直接対決で北島さんに勝つ』ということが、僕にとって最大のモチベーションだったんです」
相手は、北島康介でなければならなかった。
だからこそ、ほかの選手たちが活躍したことで自分のモチベーションが下がることもなかった。萩野や瀬戸の活躍も、心から喜ぶことができた。同級生が代表に入ることも、ただただうれしかった。