JリーグPRESSBACK NUMBER
“お坊さん”になった元Jリーガー28歳の挫折人生「なんでジュビロのユニフォームじゃないんだ」トップ昇格を逃し、プロでは大ケガの悲劇
text by
間淳Jun Aida
photograph byJun Aida
posted2024/02/25 06:00
現在は静岡県の林入寺で副住職となった五藤晴貴さん。カターレ富山時代の写真を手に
「体は大きいし、スピードは速い。同じ世代なのに何もできず悔しさだけが残りました」
世界トップレベルとの差を痛感し、心に火がついたという。翌年の同じ大会では、ウルグアイ戦とロシア戦でゴールを決める活躍。最近では日本代表DFの伊藤洋輝選手もつけたジュビロユースの背番号10を託されるまでの選手となった。
五藤さんは高校1年生の終わりに18歳以下でJリーグの公式戦に出場できる2種登録選手となり、トップチームにも同行していた。年齢を重ねるごとに着実に成長し、ジュビロのトップチームに昇格するのは“既定路線”かと思われた。
カターレの方々には感謝してます。ただジュビロが…
だが、ジュビロのユニホームを着るのはユースまでとなった。五藤さんを含めて同期の選手は誰一人、トップ昇格を果たせなかった。
「ものすごくショックでした。ただ、見返してやるという気持ちには全くならなかったです。ジュビロが大好きだったので、近い将来戻ってきて活躍したいと考えていました」
五藤さんはジュビロ入りこそ逃したものの、当時J2だったカターレ富山への入団が決まった。プロサッカー選手としてスタートを切るキャンプイン。五藤さんは写真撮影のため、宿舎の部屋で初めてユニホームに袖を通した。希望していたチームではないとはいえ、プロサッカー選手になる目標が現実となりうれしさがこみ上げてくると思っていた。
ところが、鏡に映った自分のユニフォーム姿を見て悔し涙があふれてきた。
「もちろん、カターレ富山の方々には感謝しています。ただ、何で自分が着ているのはジュビロのユニフォームじゃないんだと悔しさでいっぱいでした。すぐにジュビロのスカウトの方に電話して『絶対にジュビロから必要とされる選手になるので、見ていてください』と伝えました」
脱臼、左ひざ…「怪我しないのもセンスです」
挫折からのスタートとなったプロ生活。次に待ち受けていたのは、怪我との戦いだった。プロ1年目に右肩を脱臼。手術を受けて復帰まで半年以上を要した。3年目は練習試合で相手選手と接触した際、左ひざ前十字靭帯を断裂した。またも手術が必要な大怪我となり、完治まで1年かかった。
さらに、悲劇は続く。