広野には家庭があり、家族の生活圏は名古屋だった。プロ野球のコーチといえども、その前にひとりの家庭人。ロッテのコーチになれば、生活圏は東京に移動せざるを得ないため、家族の大反対は必至だ。しかし、得てして嫌な予感は当たるもの。

「稲尾さんから電話が来たんです。その第一声は『お前、分かってるだろうな？』。続けて『お前には“貸し”がある。お前に請われて中日のコーチをしたが、散々苦労して嫌な思いをしたんだぞ』と言うわけです。当時のロッテの組閣は球団主導でされていたので、稲尾さんは誰か気心の知れたコーチを招集したいと思い、私を呼んだのでしょうね」

「不思議でしょうがない…」落合の練習法

「稲尾さんを裏切るわけにはいかない」と唇を噛んだ広野は、家族を連れて上京し、稲尾監督のもと、ロッテの一軍バッティングコーチを引き受けることになる。そこに、当時（1984年）すでに三冠王を1度獲得し、3年連続首位打者に輝いている落合がいたのだ。広野は落合との出会いをこう述懐する。

「落合は、前年まですさまじい記録を残していましたから、現役時代に大した成績を収めていない私は何も教えることがない。それどころか、落合の一挙手一投足が理解できない新しいものに見えたんです。だったらいっそのこと、教えることがないなら教わろう、彼のバッティングエキスをすべて吸収しよう、そう思いました。私の中で、完全にコーチと選手という立場は逆転していましたね」

ロッテ時代の稲尾和久監督と落合博満（1986年9月撮影）。落合は稲尾を慕っていた　©Sankei Shimbun

　落合の独特な練習法を見たとき、広野は驚きの連続だった。「我々が持っている引き出しとは、まったく正反対のことをやっていた」と広野は言う。

「たとえば、フリーバッティングでは100kmくらいの緩いボールを打ち続ける。ファースト側、ピッチャー正面のネット、サード側に打ち分けるわけです。普通だったら、ガーンとフルスイングして、飛ばしにかかるものですが、落合は決してそのようなバッティングをしませんでした。私の就任1年目のキャンプ中は、ずっとそんな調子です。これで、どうやって首位打者や三冠王をとれるんだろうと不思議でしょうがなかったです」

「落合は酒を飲ませるとしゃべる」

　しかし、意図を探ろうにも、落合はグラウンドでほとんど喋らない。そこで、落合が酒好きだという情報を聞きつけた広野は、彼を遠征のたびにバーに誘い、バッティングへの考え方を聞き出すのだ。スポーツ記者だった広野にとって、それはさながら“取材”だった。

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