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“日本代表監督白紙”で激怒「話すことはない。ただ」“腐ったミカン事件”と本田圭佑17歳の「ギラギラした」才能…ネルシーニョ本人が告白 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byKazuaki Nishiyama/JIJI PRESS

posted2024/02/24 11:02

“日本代表監督白紙”で激怒「話すことはない。ただ」“腐ったミカン事件”と本田圭佑17歳の「ギラギラした」才能…ネルシーニョ本人が告白<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama/JIJI PRESS

ヴェルディ川崎時代のネルシーニョ。95年末に起きた日本代表監督を巡る“いざこざ”については……。

「JFAの一部の人が、私とクラブに対して敬意を欠く言動を示した。それゆえ、我々は非常に残念な思いをした」

――もし、あのときあなたが日本代表の監督に就任していたら、1998年ワールドカップ(W杯)アジア予選を勝ち抜いて本大会に出場し、勝ち星や勝ち点をあげていたかもしれません(注:日本代表はW杯アジア予選の途中で加茂監督が更迭され、コーチを務めていた岡田武史が監督に昇格して予選を勝ち抜いた。日本にとっては初のW杯出場の快挙を達成したが、W杯GSでは3戦全敗だった)。

「仮定の話をしても仕方がない。ただ、私としては日本代表を率いてW杯の舞台に立ちたかった、という思いはもちろんある」

今は「特大の敬意を抱いている」と語るワケ

――この騒動の後、Jリーグ王者を決めるチャンピオンシップ(CS)では横浜マリノスに連敗。年間優勝を逃しました。

「CSでマリノスに負けたのは、私の(日本代表監督就任に関する)騒動とは関係がない。純粋にフットボールで負けた」

――当時は、Jリーグが発足してまだ3年目。JFAもリーグもクラブも、プロの組織になり切れていない部分があったのでは?

「いずれの組織においても、まだアマチュア的な部分が残っていた。ただ、それは仕方がない。物事には順序や段階がある。現在では強豪とみなされる国だって、長い時間をかけ、試行錯誤しながら、少しずつ強くなっていったんだ。

 Jリーグ創設から30年が経過し、膨大な数の人々による継続的な努力があって、日本のフットボールはすべての面で著しく進歩した。この点で、私は日本のフットボール関係者に特大の敬意を抱いている」

Jリーグのプロ意識、能力は向上している

――96年4月、あなたはJリーグの前期9試合を終えたところで退団します(注:成績は5勝4敗で7位)。唐突だったと思えるのですが、どのような事情があったのでしょうか?

「詳しいことは言えないが、クラブ、チームの中で自分がコントロールできない部分で問題が生じたので、辞任を申し出た」

――ブラジルへ戻り、インテルナシオナル、古巣コリンチャンス、サンパウロ、フラメンゴなどブラジルを代表する名門クラブやチリの強豪コロコロなどの監督を歴任しました。2001年から02年にかけて監督を務めたサンパウロでは、数年後に世界最優秀選手に選ばれるMFカカ、09年に柏レイソルで再会するCFフランサ(注:柏には05年から10年まで在籍)ら錚々たるスター選手を指導しました。そして2003年8月、名古屋グランパスの監督に就任します。約7年ぶりに戻ってきたJリーグをどう思いましたか?

【次ページ】 17歳の本田圭佑に感じた「ギラギラした眼」

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