熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
“日本代表監督白紙”で激怒「話すことはない。ただ」“腐ったミカン事件”と本田圭佑17歳の「ギラギラした」才能…ネルシーニョ本人が告白
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKazuaki Nishiyama/JIJI PRESS
posted2024/02/24 11:02
ヴェルディ川崎時代のネルシーニョ。95年末に起きた日本代表監督を巡る“いざこざ”については……。
「02年の自国開催のW杯を見事に成功させ、日本代表も好成績(注:ロシア、チュニジアを倒して初めてGSを突破したが、ラウンド16でトルコに惜敗)を収めたことで、日本のフットボール関係者は大きな自信をつかんでいた。Jリーグも、各クラブが着々と練習施設と選手育成システムを整備しており、選手の技術レベル、戦術理解能力が格段に高まっていた。プロ意識も向上していた」
17歳の本田圭佑に感じた「ギラギラした眼」
――当時の名古屋の印象は?
「キャプテンのGK楢崎(正剛)を中心に、よくまとまっていた。攻撃は、ウェズレイとマルケスのブラジル人コンビが中心。守備は3バックを採用したが、連係の構築に少し時間がかかった」
――この年の秋、チームの練習に参加した17歳の本田圭佑(当時、星稜高2年)を見て惚れこみ、「すぐにでも欲しい」とクラブ首脳に伝えたそうですね。
「彼の左足のキックはパワーがあり、精度も高かった。日本の高校生としては抜きんでた体格と身体能力を持ち、ボールを受けたら何をすべきか、がよくわかっていた。さらに、『絶対に成功するんだ』というブラジルや南米の選手に通じるハングリー精神があり、ギラギラした眼をしていた。クラブの強化責任者に、『すぐにオファーを出してくれ。さもなければ、他クラブに取られてしまうぞ』と伝えた」
◇ ◇ ◇
ネルシーニョは名古屋時代に当時17歳だった本田圭佑の才能を見抜き、翌年から積極起用する。さらにはJ2降格の憂き目にあった柏レイソルを2年でJ1優勝に導く“マジック”を見せた。その采配の核心について聞くと「年齢や実績にこだわらず選手を起用する判断力、決断力」というキーワードが出てきた――。
<つづきは第3回>