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《伝説の視聴率47.9%》日本vsイラン死闘史…中田英寿「俺が決めるしか」初W杯、カズ「魂込めました」アジア杯初V、冨安健洋はアズムン完封
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2024/02/02 18:41
1997年11月16日、フランスW杯アジア予選プレーオフ。中田英寿の大活躍もあり、日本はイランを3−2で下した
「とにかく思い切り蹴った。何が何だか覚えていないけど、右足にいまも感触が残っている」
この言葉に続いて口にしたのが、冒頭に記した――カズを語るうえで欠かせない名言だった。
初のW杯へ…中田英寿「俺が自分で決めるしかない」
<名言3>
もう、俺が自分で決めるしかないって。
(中田英寿/Number432号 1997年11月20日発売)
https://number.bunshun.jp/articles/-/23118
◇解説◇
日本代表はイラン相手に劇的な勝利を挙げ続けたわけではない。
たとえば06年ドイツW杯アジア最終予選でのアウェーマッチには大観衆が詰めかけ、1−2の敗戦。さらに94年アメリカW杯アジア最終予選では相手の絶対的エースであるアリ・ダエイにゴールを浴びるなど1−2で敗れた。実は「ドーハの悲劇」と呼ばれるイラク戦は2−2の引き分けで、出場権を逃したのは同最終予選で唯一の敗戦となったイラン戦での勝点逸が大きかったとも言える。
その雪辱を果たしたのは4年後、フランスW杯アジア地区第3代表決定戦だった。岡田武史監督率いるチームは最終予選後半戦から調子を取り戻し、ダエイ、ホダッド・アジジ、メフディ・マハダビキアら強力な攻撃陣をそろえるイランとの決戦に臨んだ。
視聴率47.9%を記録した「ジョホールバルの歓喜」
試合は中山雅史のゴールで日本が先制したものの、後半に入ってアジジ(試合前には負傷したとの陽動作戦もあった)、ダエイにゴールを献上して1点ビハインドに。しかしこの局面を変えたのが20歳のプレーメーカー中田だった。76分にピンポイントクロスで城彰二の同点ゴールをおぜん立てすると、疲れの見えるイラン守備陣をパスと力強いドリブルで切り崩した。
延長戦に入って投入された岡野雅行が決定機を決めきれないシーンは続いたが……延長後半13分、中田は前述の言葉通り、ドリブルで中央突破するとためらいなくグラウンダーのミドルシュートを放つ。
痛烈な一撃はGKに防がれたものの、こぼれ球に反応してスライディングシュートを放ったのは岡野――劇的な形でW杯初出場が決まった瞬間だった。
このイラン戦、ビデオリサーチ社が公式HPに掲載している番組平均世帯視聴率では「47.9%」をマークするなど極めて高い注目度で、日本列島が興奮と感動に包まれた。そして今もなお日本サッカー史に「ジョホールバルの歓喜」として刻まれている。