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「岩瀬さんで…」殿堂入りの谷繁元信が忘れられない“伝説の日本一”の舞台裏…「自分が間違っていたのか」完全試合を逃した山井を救った一言

posted2024/01/23 11:02

 
「岩瀬さんで…」殿堂入りの谷繁元信が忘れられない“伝説の日本一”の舞台裏…「自分が間違っていたのか」完全試合を逃した山井を救った一言<Number Web> photograph by JIJI PRESS

野球殿堂入り、通知式で挨拶する谷繁氏

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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 野球殿堂博物館が、2024年のプレーヤー表彰を発表した。いわゆる野球殿堂入りが決まったのは、谷繁元信氏と黒田博樹氏(以下敬称略)。谷繁は横浜大洋ホエールズ時代の1989年に入団した。横浜ベイスターズと球団名は変わったが、13年間プレーし、98年には日本一の原動力となった。

 2001年オフにFA権を行使して大リーグ移籍を模索したものの、交渉がまとまらず日本人初の捕手メジャーリーガーは幻となった。その間もあきらめずラブコールを送り続けた中日に移籍。以後、兼任監督を含めて14年間、専任監督の1年を含めると、15年間在籍した。

「2963試合」の誇り

 通知式が行われた1月18日に、喜びの言葉を発している。NPB最多の3021試合出場。しかし、自身が誇りに思っているのは捕手としての2963試合と、高卒ルーキーから兼任監督まで27年間連続で本塁打を放ったことだった。

「キャッチャーが何で評価されるのかというと、やはり試合に勝つこと。自分がマスクをかぶった試合で、勝つ確率を上げていくのはものすごく意識した。(連続本塁打も)27年間プロとしてプレーしていないと生まれない記録ですから」

 言うまでもなく捕手は肉体的に過酷なポジションだ。ワンバウンドを止め、コリジョンルールの導入以前は全力疾走する走者と激突するのも日常茶飯事だった。そのポジションを全うしての3021試合出場は、野球殿堂入りにふさわしい。本人も「耐え抜いた体に感謝したい」と語っている。

チームを勝たせる捕手

 横浜、中日。いずれも思い出としてあげたのは日本一だった。98年は通知式にゲストスピーカーとして駆けつけてくれた権藤博監督の下、マシンガン打線と大魔神・佐々木主浩の力で勝ちきった。

「弱いチームから徐々に強くなっていった。その仲間たちと優勝して日本一になれたことが、すごく印象に残っています」

【次ページ】 「完全継投」の舞台裏

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