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「岩瀬さんで…」殿堂入りの谷繁元信が忘れられない“伝説の日本一”の舞台裏…「自分が間違っていたのか」完全試合を逃した山井を救った一言
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byJIJI PRESS
posted2024/01/23 11:02
野球殿堂入り、通知式で挨拶する谷繁氏
一方、中日での日本一は落合博満監督が率いた2007年のこと。導入初年度のCSから勝ち上がった。
「FAでドラゴンズにとっていただいたわけですから、何とか勝たないといけない。あの日本一になった時に、あ、やっと貢献できたかなという思いがありました」
伝説の日本シリーズ
日本ハムを相手に第1戦を落としてからの4連勝。とりわけ語り草となっているのが決着をつけた第5戦(ナゴヤドーム)である。先発の山井大介が、何と8回まで1人の走者も出さなかった。打線はダルビッシュ有から虎の子の1点をもぎ取り、いよいよ最終回を迎えた。得点を許さなければ、ドラゴンズにとって実に53年ぶりの日本一。それだけでホームグラウンドの興奮が最高潮に達する条件はそろっていたが、シリーズ史上例のない完全試合の可能性まで残っている。
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そんな中、落合監督は審判に投手交代を告げた。絶対のクローザー・岩瀬仁紀。まるで大記録などないかのように、淡々といつも通りの継投をした。
「岩瀬さんでお願いします」
1点もやれないどころか、走者を出しただけで落胆のため息が待っている。とてつもない重圧を背負って、岩瀬は継投による完全試合をやりきった。日本一。勝った。しかも快挙。歴史に残るはずの試合は、勝ってなお波紋を呼び、物議を醸した。当初は少なかった“賛”は「あれができるのは落合監督だけ」。“否”は「山井を続投させるべき」という主張である。
もう少し点差があれば。日本シリーズではなく公式戦だったなら。山井の指先のマメが裂けて血がにじんでいなければ……。いくつかの条件が重なってのことにせよ、当事者の山井は森繁和バッテリーチーフコーチに尋ねられ「岩瀬さんでお願いします」と答えている。それは森コーチから落合監督に伝えられ、継投は決定した。
山井が忘れられない言葉
「自分ではそれでいいと思ったから」
現在は中日の投手コーチを務める山井は述懐した。記録に後ろ髪を引かれる思いなどなく、岩瀬にバトンを渡すことだけを考えていた。だが、勝利した後でも外野の声が否応なく耳に入ってきた。「なぜ代えた?」「なぜ投げない?」。SNS全盛の今なら、もっと読むに堪えない誹謗や中傷があったかもしれない。