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「22歳で野球を諦められてよかった」二郎系ラーメン店主に転身した元ベイスターズ・小林公太32歳が語る「プロ野球選手のセカンドキャリア問題」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byTakuya Sugiyama
posted2024/01/24 11:01
プロ野球を引退しラーメン店主となった小林公太
小林 オーストラリアから帰るとき、普段は厳しいシェフから「お前は絶対料理の才能があるから、日本に帰ったら料理の道に進んだほうがいい」と言ってもらって。プロ野球時代からお世話になっていた知り合いの社長の伝手をたどり、いろんなラーメン屋を食べて回って、実際に働かせてもらったりもしました。
――どのくらい“ラーメン修業”をしたのですか?
小林 トータルで3カ月くらいです。そして最後にたどり着いたのが、ボストンの「Yume Wo Katare」でした。ここで3週間ほど働かせてもらって、「これだ」と感じて。
「元プロ野球選手なのにラーメン屋やってんのかよ」
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2016年、東京・白山に「夢を語れ 東京」(現在は「俺の生きる道」に改名)をオープン。“二郎インスパイア”のラーメン店として徐々に評判を集め、現在は東京、茨城などに6店舗を展開している。
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――セカンドキャリアを考える際に、数ある飲食店の中でもラーメン店を選んだ理由は?
小林 元プロ野球選手の方が引退後に飲食店をオープンするとなると、焼肉店が多い印象ですよね。焼肉は高価格帯なので売上げのメドが立ちやすい気がしてしまう。でも、なかなかうまくいかないのが現実だと思います。
――なるほど。
小林 そういう中で、あえて客単価1000円程度のラーメン屋。「元プロ野球選手なのにラーメン屋やってんのかよ。応援してあげてもいいかも」とお客さんが思ってくれたらいいな、という下心もありましたね。そして、やっぱり僕はラーメンが好きなので(笑)。
――特に「二郎系」のラーメンが好きだったのですか?
小林 はい。でも、二郎系って店主は頑固親父だし、私語厳禁でルールが厳しくて……みたいなイメージが強いと思うんですよ。だからそれをすべて逆転させて、この店では凄いフレンドリーでいこうじゃないかと。お金払って食べに来てもらってる時点で、ラーメンなんて美味しくて当たり前っていう感覚がないといけない。それは大前提で、その上でお客さんとのコミュニケーションを大事にしているつもりです。