箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
後の日本チャンプが3人いても…高校駅伝2015年の学法石川“奇跡の世代”の敗因は「箱根の駒大」と同じだった?「僕らの練習は日本一だったけど…」
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by(L)Takuya Sugiyama、(C)、(R)Satoshi Wada
posted2024/01/20 17:02
田母神(左)、阿部(右)ら有力選手を擁した学法石川“黄金世代”。松田監督(中)独自の育成法は、駅伝だけに向いていないものでもあった
都大路では確かに彼らは勝てなかった。
一方で、彼らはやってきたことに対しての後悔はなかったという。
「トラックでの結果は出ていましたし、記録が伸びたのもあります。松田先生への信頼感はすごくありました。『この人に任せれば走れるだろう』というのが、みんなありました」
阿部がこう話すように、選手たちの松田への信頼感は全幅のものだった。
「あのチームのままで、僕はいいと思います」
「都大路で優勝するためにどんな点を変えればよかったと思いますか?」
田母神にこんな質問をぶつけると、笑顔でこう答えてくれた。
「あのチームのままで、僕はいいと思います。それが今につながっていると思うので。しいて言えば、ロードレースにもうちょい出ていたら……ぐらいですかね。
雰囲気、練習、チームづくりに関しては、言うことがないぐらい完璧でした。それは、みんな思っていることだと思います。なおかつ、今でもこうやって仲がいい。みんなで会うと『松田先生とも飲みに行きたいね』って話になるんです。それは高校3年間やってきたことに対して、みんなが“よかった”と思っているから。本当にガクセキでよかったなってみんな、心の底から思っていると思います」
卒業を前にして、阿部は全部員の前でこう宣言したという。
「いま、ガクセキの選手は卒業後に伸びないと言われています。それを、僕らの代で変えます!」
その宣言通り、阿部と相澤は箱根駅伝で区間新記録を打ち立て、相澤と田母神は日本チャンピオンになった。それに留まらず、相澤は1万mで日本記録を樹立し、東京オリンピックにも出場した。後輩の遠藤も、卒業後に室内5000mで日本記録保持者となり、世界選手権で日の丸を付けている。
都大路では納得のいく結果を残せなかった。
だが、ガクセキでやってきたことは間違いではなかった。そのことは、その後の彼らの活躍が何よりも証明している。