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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝“1年生で2区12人抜き”あの天才留学生…オムワンバは今、長崎にいた「後悔がゼロ、は嘘になるけど…」「まだ“見習い”です」
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph byNumber Web
posted2024/01/05 11:01
山梨学院大のケニア人留学生として、箱根駅伝「12人抜きの快走」「まさかの途中棄権」を経験したエノック・オムワンバの今
「明日の2区、ニャイロが走ります。あなたには未来がある。実業団がある。ニャイロをサポートしてあげてください」
走れなかった箱根…オムワンバの「その後」
オムワンバの起用はいわば“賭け”だった。出場回避は将来を見据えた決断ともいえる。オムワンバも「仕方ないよね」と納得した。だが「でも……やっぱり走りたかったよね。前日まで走る気だったから」とも続けた。
当日、オムワンバはニャイロのサポートに回った。鶴見中継所に同行し、一つだけ伝えた。
「最初から飛ばしすぎないように、って何度も言った。でもやっぱりニャイロ、飛ばしてたね……。気持ちはわかるけどさ」
ニャイロは快走した。12人抜いたオムワンバの1年時と同じ、区間2位だった。
記録上、オムワンバが箱根駅伝を完走したのは1度。4年連続で走ったジョセフ・オツオリやメクボ・ジョブ・モグスに比べ、実績は劣る。だが、実業団の三菱日立パワーシステムズ長崎(現:三菱重工)マラソン部の監督、黒木純はオムワンバの獲得を熱望した。
「エノックにとって箱根はいい思い出がないんじゃないかな。それでいて、“駅伝”を誰よりも理解しているのもエノックだと思うんです。ひょっとすると日本人よりも深く。彼の4年間は誰もが経験できるものじゃない。日本の文化を理解しているし、ゆくゆくは指導者としても可能性があると思いました」
当の本人は、オリンピック選手になる夢を捨てていなかった。三菱日立への入社は2016年、オムワンバ23歳のとき。コンディションさえ戻れば中距離で勝負できると信じていた。
ニューイヤー駅伝にも4度出場した。準優勝メンバーの一員にもなった。最後の出場は2020年、区間25位に終わっていた。
翌年、黒木からコーチの打診を受けた。「時間をください」と伝え、冷静に考えた。