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「気を遣わせたくない」隠し通した最愛の人との別れ…ロッテ・吉井理人監督が声を震わせた日「母さんに何かしてあげられたかなぁ…」〈今明かす2023激闘秘話〉
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byChiba Lotte Marines
posted2023/12/25 06:06
「母の日」のミーティングで吉井監督が選手たちにかけた言葉には、ある思いが隠されていた
この少し前。吉井監督は母を亡くしていた。千葉から北海道の移動休日となった5月12日。一人、チームを離れて和歌山に飛び、告別式を執り行ってから、北海道入り。「周りに気を遣わせたくない。言う必要はないと思っている」とあえてチームには知らせずに密かに合流した。グラウンドでは、いつも通り、笑顔で選手たちと触れ合い、気丈に振舞った。その変わらぬ雰囲気に、チームの誰も深い悲しみを背負っていることに気づくことはなかった。
5月13日のファイターズとの初戦に0対5で敗れ、迎えた翌日の2戦目。母の日だったこの日の宿舎出発前にふと思った。
「これまで母さんに何かしてあげられたかなぁ。親孝行は出来たかなあ」
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だから、練習前に選手たちを集め、人生の先輩としてメッセージを伝えようと思った。
旅立ちの日の母の姿
「先輩方から『親はいつまでもいないよ』とはよく言われてきたけど、なかなかその実感はなかった。親孝行は出来る時にしないと出来なくなる、というのは本当だったと改めて思う。最後はずっと闘病生活を続けていて話をすることも出来なくなっていた。選手たちもみんなお母さんとこういう機会に向き合って欲しいなあと思って伝えさせてもらった」
吉井監督はこのミーティングの意味をそんな風に明かしてくれた。
試合は5対2で勝利した。みんなピンクのリストバンドを腕につけて最高のプレーをした。試合後、吉井監督も嬉しそうな表情を見せ、母を思い返し、「面白いことを思い出した」と笑った。
ドラフト2位で近鉄バファローズ入りが決まり、18歳で初めて親元を離れることになった日のことだ。家族は最寄りの駅まで見送りに来てくれた。「ここまでで大丈夫」と寂しい気持ちを押し殺して一人、電車に飛び乗り、当時の国鉄・和歌山駅から天王寺へ。そこから歩いて阿倍野の駅まで向かい、近鉄線に乗り継いで寮のある藤井寺に向かった。すると寮の前には、地元の駅で別れたはずの母親の姿があった。