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八重樫東「やってやるよ、こいよ」両目がパンパンに…いま明かす“怖かった”あのロマゴン戦の心中「僕はヤンキーではないけど」「尚弥と似ていた」
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph byJIJI PRESS
posted2023/12/24 11:05
2014年9月、ローマン・ゴンサレスに敗れ一夜明けた八重樫東。左は井上尚弥
「もらっても倒れる気はしなかったんで。おう、やってやるよ、こいよ、っていう気持ちになったんです。僕はヤンキーではないし、大人しい人間ですよ。でも井岡戦の最後とロマゴン戦はそういう気持ちになりましたね」
打たれても、怯えず、向かっていった。9回。連打で前進したが、左アッパー、右ストレート、左アッパーの3連打で倒された。八重樫は片膝をつき、コーナーを見て、セコンドに「大丈夫です」と目配せをしたつもりだった。気持ちはまだ燃えている。もっとできる。だが、レフェリーが覆いかぶさるようにして試合を止めた。会長の大橋とトレーナーの松本に抱えられ、コーナーに戻る。椅子に座った八重樫は両目を腫らし、微笑んでいた。痛々しい。だけど、どこか美しく、儚い表情だった。最強に挑んだ、八重樫の闘いは終わったのだ。
「負けちゃったなあって、もちろん悔しかった。どの試合も一生懸命、丁寧にやっていたつもりです。でも、相手によってこんなに違うんだな、と。こんなに気持ちも集中力も入った試合はなかったですね」
3階級制覇、そして37歳で…
31歳。これが24戦目。引退が頭をよぎる。「やり切ったかな」という思いもあった。敗れた。壮絶に散った。ゆっくり考えよう。だが、またも周囲から予想外の反応が返ってくる。
「心を打たれた」。「また試合が見たい」。反響の大きさに驚いた。試合から少し時間が経ち、大橋から伝えられた。
「八重樫、おまえ、すぐに世界戦ができるぞ。ライトフライ級だけど、落とせるか?」
もう次の試合のオファーが来ている。しかも世界タイトルマッチだった。
「俺にはまだニーズがあると思ったんです。プロ選手って、変な言い方ですけど、あくまで商品。売れないとダメだし、まだ俺の商品価値は残っているんだなと思いました」
ロマゴン戦から3カ月後、WBCライトフライ級王座決定戦に挑んだ。敗れたものの、その1年後、IBFライトフライ級王座を獲得し、世界3階級制覇を成し遂げた。
振り返れば、いつしか「激闘王」と呼ばれ、ロマゴン戦から5年以上も闘い続けた。2019年12月、世界挑戦で9回TKOに敗れ、決意は固まった。35戦28勝16KO7敗。「好きな競技を続けたいから」とプロに入り、足かけ16年。もう37歳になっていた。
「尚弥、悪い。ちょっと引退スパーをしたいからお願いね」
2020年夏、八重樫東は井上尚弥にそう声をかけた。
〈つづく〉