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八重樫東「やってやるよ、こいよ」両目がパンパンに…いま明かす“怖かった”あのロマゴン戦の心中「僕はヤンキーではないけど」「尚弥と似ていた」
posted2023/12/24 11:05
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph by
JIJI PRESS
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八重樫東はローマン・ゴンサレスの凄まじさを思い出していた。2007年11月3日の東京・後楽園ホール。初来日した20歳のロマゴンは世界挑戦したばかりのエリベルト・ゲホンをボディ一発で沈めた。その光景を見て、「なんだコイツは……」と思った。翌年、ロマゴンがWBAミニマム級王者の新井田豊に挑戦した興行では前座に出場。試合を終え、ロマゴンが新井田を滅多打ちにする衝撃のシーンを目の当たりにすると「こいつ、すげー」と思わず感嘆の声を漏らした。あのロマゴンと対戦するかもしれないのだ。
「大丈夫です、と言ったものの、内心は『いやいや、マジかよ、ロマゴンか……』と思いました。怖かったです。不安しかないですよ」
腹を括った「ロマゴンも同じ人間だ」
井岡も無敗の相手だったが、頭の中で勝つイメージができた。しかし、ロマゴンに対しては、攻略の糸口さえ見えてこない。恐怖と不安。試合まで寝つけない日々が続いた。
「腹を括ったんですよ。もうやるしかない。ロマゴンも同じ人間だ、と。あのとき自分が王者だけど、気持ちは挑戦者。世界最強に挑むという立ち位置でいこうと思ったんです」
危機感が募り、練習はこれまでにないくらい集中できた。コンディションもいい。けがもない。日々やり切った。気がつけば「これで負けたならしようがない」と思えるくらい練習に没頭していた。
会長の大橋秀行は大舞台になると優しい目で必ずこう言ってきた。
「気楽にいこうな。これで終わりじゃないんだから」
八重樫はその言葉の意味を知っていた。大橋は張正九に屈しても、リカルド・ロペスに敗れても次があった。八重樫もそうだ。井岡戦の後にすぐ世界戦のオファーが来た。思い切りぶつかればいい。たとえ負けたとしても次がある。いや、誰もが避けるような「最強」と闘うことに価値がある。全力で向かっていくことが勲章になるのだ。
「これはいけるかもしれない」
2014年9月5日、東京・代々木第二体育館。ウオーミングアップを始めると、体が動く。気持ちも高ぶる。心も体も充実していた。
「調子いいぞ、これはヤバいことになるぞ」