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「シンジが白スーツで…」なぜ21歳小野伸二はオランダ人に愛されたのか? 監督やトマソンが語る“美しいパス”だけじゃない14番の残像

posted2023/12/20 11:02

 
「シンジが白スーツで…」なぜ21歳小野伸二はオランダ人に愛されたのか? 監督やトマソンが語る“美しいパス”だけじゃない14番の残像<Number Web> photograph by PICS UNITED/AFLO

2001年7月、フェイエノールトの移籍会見でマスコミやファンに囲まれる小野伸二(当時21歳)

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ミコス・ハウカ

ミコス・ハウカMikos Gouka

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今季限りで現役を引退を発表した小野伸二(44歳)。日本を代表するファンタジスタが、初めて海を渡ったのが2001年のこと。移籍初年度にUEFAカップ制覇するなど、プロ26年間のキャリアでハイライトとも言える時間を過ごしたのがオランダの強豪フェイエノールトだった。当時の監督、同僚、対戦者、そしてレジェンドの記憶に刻まれる「シンジ・オノ」を訪ねて回った(全2回の1回目/後編へ続く)。

★Sports Graphic Number1068号(2023年2月16日発売)に掲載された『[オランダから愛をこめて]シンジとフェイエの蜜月』を特別に無料公開します《翻訳=中田徹》。

 18歳の頃の小野伸二を知る“ペトロ”は今、オランダ南部の小さな街フフトで暮らしている。ゼリコ・ペトロビッチ。ピッチを縦横無尽に駆け回り、常に闘志溢れるペトロの雄姿を、往年の浦和レッズファンなら脳裏に焼きつけているはずだ。

 1998年、清水商業高を卒業して浦和に加入したばかりの小野の印象を、ペトロは鮮明に覚えているという。

「シンジは一目で規格外の選手だと分かった。両足を遜色なく使い、激しいプレスを受けても涼しい顔をしながらボールを操る。私は現役時代、多くのビッグプレーヤーとプレーした。セビージャで一緒だったディエゴ・マラドーナもその一人。そんな私が見てもシンジのテクニックは並外れたものだった。いや私だけでなく、誰もがシンジのとてつもない才能に気付いたはずだ」

「シンジにはオランダがピッタリだと思ったんだ」

 やがてペトロは小野が欧州でプレーしたい意向であることを知ると、古巣のPSVに連絡した。「シンジ・オノという若いMFはオランダで絶対に成功するから獲得すべき」と熱心に説いた。

「シンジにはオランダのサッカーがピッタリだと思ったんだ。イタリアやスペインに若い選手が行っても、数試合出来が悪かっただけで干されることもある。その点、オランダには若手を起用しながら育てるというビジョンがある。最初は期待に応えられなくても、徐々に力を発揮すればいい。PSVには何度も連絡したんだけどね……彼らは何のアクションも起こさなかった」

 一方、当時フェイエノールトのテクニカル・ダイレクターを務めていたロブ・バーンは、ジェフ市原のオランダ人監督ヤン・フェルシュライエンから「日本にシンジ・オノという良い若手がいる」と聞いた。バーンはペトロや日本にいる知人にコンタクトを取ると、誰に聞いても小野のポジティブな評価しか返ってこなかった。

【次ページ】 バーンはすぐさま日本へ飛んだ

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