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「悔しすぎて帰りの記憶がない」小林悠が2度の天皇杯決勝で味わった“天国と地獄”…中村憲剛の現役ラストゲームは「めちゃくちゃ泣きました」
posted2023/12/08 11:03
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph by
JFA/AFLO
「帰りの記憶がない」小林悠が明かす“最悪の元日”
「あれは、人生で一番悔しい試合なんですよ」
とある試合の記憶を尋ねたところ、小林悠はそう話し始めた。悔しさを原動力にゴールを奪い続けてきたストライカーの「一番悔しい試合」――それは2017年の元日に大阪で行われた、2016年度の天皇杯決勝だった。
まだ無冠だった川崎フロンターレにとって、悲願の初タイトルがかかっていたファイナルであり、5年半に渡ってチームを率いていた風間八宏監督のラストゲームでもあった。
相手はチャンピオンシップを制し、リーグ優勝を果たした鹿島アントラーズ。小林は後半に貴重な同点弾を記録するなど気を吐いたが、百戦錬磨の鹿島はしたたかだった。老獪な試合運びをしながら、一瞬の勝負所を見逃さない。延長戦までもつれた末に、川崎は1-2で敗れた。
「嘉人さん(大久保嘉人)がいて風間さんがいて、絶対にフロンターレが優勝するって思ってたんです。自分はゴールを決めましたけど、本当に悔しかった試合ですね」
あまりの悔しさに、試合後の帰り道での記憶がまるでないほどだという。
「大阪から帰る新幹線の車内のことを何も覚えてないんですよ。家で子供たちに『どうしたの、これ?』って言われて、足を見たら真っ青に腫れ上がっていた。自分が怪我をしていたことが分からないぐらい悔しかったんです。最悪な1年のスタートでしたね(笑)」
最悪な始まりとなった2017年は、キャプテンとしてリーグ初制覇を成し遂げるという最高の結末で幕を閉じている。だから人生は面白いと言えるかもしれないが、小林にとってそんな記憶が蘇るのが、天皇杯決勝という舞台でもあるのだ。
中村憲剛と抱き合って号泣した2度目の天皇杯決勝
2度目となる天皇杯決勝は、2021年の元日だ。
記念すべき第100回大会だったが、コロナ禍の影響で大会フォーマットが変更となり、Jリーグのチームが参加したのは準々決勝、準決勝、決勝のみだった。圧倒的な強さでJ1王者となった川崎は準決勝からの登場となった。ファイナルではガンバ大阪を相手に三笘薫の決勝弾で勝利し、大会初制覇を達成。ベンチスタートだった小林悠は、79分からピッチに立った。
「カオルがいるので勝つだろうと思っていたら、決めましたね。あのときの天皇杯決勝はあまり出てないし、そんなに思い出はないかな(笑)」
脳裏に強く刻まれているのは、試合そのものよりも試合後の光景だ。