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「原(辰徳)ともやってますが、実力は岡田が上だと」岡田彰布の“すでに名将”な早大キャプテン秘話「亡き友の心を震わせた言葉」とは
posted2023/12/06 11:02
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by
Hideki Sugiyama
〈岡田を語る5人の登場人物〉
・石山建一(元プリンスホテル監督など):岡田の早大1~3年時の野球部監督
・島貫省一(元巨人、近鉄):岡田の同期野手。4年時に岡田の前を打つ3番打者を務めた
・関口一行(元住友金属鹿島監督):岡田の同期投手。同期会の幹事役を務める
・佐々木雅次(元トヨタ自動車):岡田の1学年上の先輩
・片桐幸宏(前桜美林高校監督):岡田の1学年下の後輩
怪物・江川との初対戦でいきなり3安打
岡田世代が東京六大学リーグで優勝したのは2回(1978秋/3年、79春/4年)。1、2年時は法政が4連覇を遂げているが、各大学の前に立ちはだかったのが岡田から見て2つ上の江川卓だった。当時、早稲田大学で岡田を指揮した監督、ともに戦ったチームメートの5人誰もが〈江川が最高の投手〉と口をそろえる。佐々木雅次はボールが浮き上がっていたとその印象を語る。
「インハイのボールをストライクと思って振ると、キャッチャーの袴田(英利。元ロッテ)さんが立ち上がって(ストライクゾーンの)上のほうで取っていたほどです」
そんな江川に対して、岡田は1年秋の初対戦で3安打を放ったのだった。
早稲田は当時、打倒・江川のために徹底した対策を敷いていた。片桐幸宏は高校3年の秋の練習会に一人遅れて参加していた。打ってみろ、と言われバッターボックスに立つと、ピッチャーがマウンドよりも近くから投げていたという。
「やけに近くて不思議に思いました。これは江川対策だなと」
本格派右腕だった関口一行は、毎日のようにバッティングピッチャーを務めた。
「神宮で第一試合はフリーバッティングの時間がある。2カ所、15分交代で4人のピッチャーが投げますが、金曜日、練習が終わって安部寮に行くと、黒板にバッティングピッチャーの名前が書かれている。僕は1年春の1戦目から2年秋の早慶戦まで、一塁側の1番目を外れたことがなかった」と胸を張る。その効果もあってか、岡田が初対戦で江川を打ち崩すことができたのだろう。
ただ岡田は初対戦以降、打順が7番から5番に上がると、江川のボールが明らかに変わったという。江川がそれ以降、手を抜かずに本気で抑えに来ていたことは想像がつく。
原が打ったライナーを取った岡田の“意外な行動”
そんな岡田はかつて、早稲田にきて謙虚さを学んだ、と早稲田学内向けのwebメディアに答えている。要約すると下記のようになる。