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巨人監督退任2日前、長嶋茂雄が星野仙一に掛けた“不思議な電話”…「冷たかったものな」同年、仰木彬の退陣のウラで星野が守った“ある約束”
posted2025/06/29 11:01

2001年の退団会見の2日前、長嶋茂雄は星野仙一に“ある電話”を掛けていた
text by

永谷脩Osamu Nagatani
photograph by
JIJI PRESS
日本野球界に偉大な功績を遺した長嶋茂雄。2001年をもって巨人監督を退任した長嶋を中心に、同年グラウンドを去った東尾修、仰木彬、そして星野仙一の“退任の舞台裏”に迫ったノンフィクションを特別に無料公開する。《初出『Sports Graphic Number2001/10/25緊急増刊号 長嶋茂雄 日本人に最も愛された男』「男の引き際。」》【全3回の第2回/第3回へ】
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長嶋監督の本拠地での最後の試合に先立つこと6時間前。7年間、西武の監督をつとめた東尾修の退団会見が、西武ドームで堤義明オーナーの同席のもとで行なわれていた。
「私と監督の間で、勝っても負けても今年1年ということを決めていましたから。まだ51歳と若いのだから、外でもう一度勉強をして、大きくなって帰って来なさいということです」
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と堤オーナーは退団の理由を説明した。東尾監督も“オーナーとの間に、阿吽の呼吸というものがありましたから”とその理由を語った。
退団セレモニー後…宴席の場で東尾が語った本音
長嶋監督も東尾監督も、ペナントレースに敗れての退団ということでは同じだった。勝負の世界の非情さが、勝てなかった指揮官に断を下したのだ。
「長い間、監督をやっていると、来年はこうやれば勝てるのかなと、変な欲がでてくる。勝てばすべてうまくいくんだという思いもあるし」
東尾監督は退団の決断までの時間をそう言って振り返った。1年限りの監督であるならば、当然、次期監督を用意していなければいけないのに、それもない。「勝負の責任はすべて監督にある」と言いながら、胸の内で葛藤を続けていたのは、監督の座への執着だったのだろうか。
「……自分の中で吹っきれたのは、9月17日から近鉄に3連敗したあとだった。それだけに初戦を落としたことが悔やまれる」
そんなことを東尾監督が語ったのは、退団のセレモニーがすべて終わり、親しい人たちだけの宴席の場であった。