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なぜ岡田彰布18歳は高校3年にして「早大野球部の伝説」となったか…打率.379、81打点の六大学記録と「岡田がいたから私はプロになれた」
posted2023/12/06 11:01
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by
Kyodo News
〈岡田を語る5人の登場人物〉
・石山建一(元プリンスホテル監督など):岡田の早大1~3年時の野球部監督
・島貫省一(元巨人、近鉄):岡田の同期野手。4年時に岡田の前を打つ3番打者を務めた
・関口一行(元住友金属鹿島監督):岡田の同期投手。同期会の幹事役を務める
・佐々木雅次(元トヨタ自動車):岡田の1学年上の先輩
・片桐幸宏(前桜美林高校監督):岡田の1学年下の後輩
◇ ◇ ◇
元々、思いやりを持っているヤツなんです
20年程前、佐々木は社会人のトヨタ自動車野球部の部長になって、新入団選手獲得に奔走していた。すると2005年に阪神から戦力外通告を受けた的場寛一を関係者から推薦されたので、当時阪神の監督を務めていた岡田彰布に電話をしたところ……。
「〈いい選手です〉って太鼓判を押してくれたんですよ。岡田が二軍の時に鍛えた選手で、ピッチャーの配球を読むことに長けていた。すると1年目から活躍して2年目に日本選手権に初優勝しました。速攻で実績を出してくれたんです」
ちなみに佐々木は的場から、阪神時代のエピソードを聞いている。
「的場が試合でケガをして入院することになった。ベッドで横になっていたら、戸がガラガラと開いて、岡田が入ってきたそうです。花束を持って。〈どうや〉って。元々、思いやりを持ってるヤツなんです」
しみじみと佐々木は語った。
一方、関口は大学時代のライバル、慶応のある先輩から“おめでとう”のLINEを受け取ったという。
「〈岡田野球はまさしく早稲田の野球ですね〉と記されていました。早稲田の野球とは何なのか――。奇をてらわない、基本に忠実、一球入魂。当たり前のこと、普通のことを愚直に真剣にやることかな、と再認識しました」
『普通のことをやる』――それが岡田の口癖だった。
ピッチャー岡田に、同世代の代表から“泣き”が入った
岡田は早稲田大学入学前、大阪の私立明星中学3年生の時にエースで大阪府大会で優勝し、甲子園出場を目指して北陽(現関大北陽)高校に進んだ。1年生でレフトを守って甲子園出場を果たした。主将・エース・4番で臨んだ3年夏は大阪府大会の決勝で興国に敗れてしまったものの、岡田という名前は知れ渡っていく。
福島商3年で、早稲田で岡田の同期となる島貫省一が後に聞いた話がある。