成功体験をどう扱うか。伊東氏はたびたびこの言葉を口にする。輝かしい成績を残した過去から無理やり引き離されれば、現実のトラックから気持ちが離れてしまう。一方で、ひとつの成功体験は、選手が大きく飛躍する突破口ともなり得る。

　選手たちに一つでも多くの「成功体験」を積ませる上で、伊東氏が重視しているのはリレーだ。甲南大の4×100mリレーは日本インカレ、日本選手権リレーなどトップの大会での活躍が目立つが、その一方で地方大会や記録会など事あるタイミングで、さまざまなオーダーを組み、選手たちをトラックへと送り出している。

個人競技である陸上だが、リレーの一体感が選手を救うこともあるという。写真は優勝した昨年の日本選手権リレー ©AFLO

伊東氏「リレーは選手を救ってくれる」

　伊東氏は「リレーは選手を救ってくれるんです」とその理由を語る。

「たとえ個人種目が上手くいかない時期でも、他の選手がカバーしてくれることもあれば、自分がチームのためになれることもある。僕自身、大学時代はリレーに救われて持ちこたえた部分もありましたし、リレーで日の丸を背負えたからこそ、個人種目でも頑張りたいと思えました。だから、選手たちにはできるだけリレーを多く走ってもらって、成功体験を積み重ねてほしいんです」

　唯一無二である自身の経験を還元しつつ、現代の選手にとってより良い環境を模索する伊東氏。それでも「僕の考えってまだまだ古いんですよ」とさらに言葉を重ねる。

©Shigeki Yamamoto

「たとえば上手く走れていない子がいたら、自分の判断で欠場させようと思ってしまう。僕としては心のダメージを広げないようにと思っていたのですが、周りの選手に聞くと『それは先生が決めちゃ駄目です。本人が出たいっていうなら出させるべきです』と言われて。最近は『どう思う？』と選手たちに聞くようにしていますし、なるべく丁寧に話を聞いてあげて、少しずつアップデートを重ねていますね。

　元々新しいことをするのは好きですし、考えを変えていくことに抵抗はないんです。僕の今の仕事は、彼女たちが個性のままに発言できて、競技ができる環境を作ることなのかなと思います。面接に行ったら全員が決まった発言をするような子たちじゃなくて、色んな引き出しのある選手に育ってほしいですね」