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「勇大くんも来てくれるんじゃないかと」 東野有紗が明かす、渡辺勇大とのわたがしペア結成秘話…“余り者同士”の相性の良さは「奇跡ですね」
posted2023/11/11 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
L)Asami Enomoto、R)JIJI PRESS
東京五輪のバドミントン・ミックスダブルスにおいて、同種目日本史上初の表彰台となる銅メダルを獲得したのをはじめ、渡辺勇大と東野有紗は、いくつもの「史上初」を刻み、新たな歴史を築いてきた。
それは成績にとどまらない。他種目と比べ認知度の低かったミックスダブルスの地位を押し上げた点も特筆される。
図抜けたコンビネーションを武器とする2人は、どのように歩んできたのか。
アジア大会から帰国直後、早くも次の遠征に向けて練習に励む東野有紗を訪ねた。
◆◆◆
「世界でいちばん長いと思います」
東野有紗は笑う。
2人が最初に組んでから10年を超え、世界上位でプレーするペアの中では最も長い年数を誇る。
北海道岩見沢市に生まれ育った東野と、東京で生まれ育った渡辺が出会った場所は、福島県富岡町だった。
バドミントンは「やりたくなかった。全然羽根も当たらないし」
東野は小学1年生のとき、バドミントンを始めた。
「親は本当は陸上をやらせたかったんですけど陸上のチームが小学校3年生からしか入れなくてバドミントンに。でもやりたくなかったです。全然羽根も当たらないし、楽しくなくて」
それでも練習し、大会に出て結果も残せるようになるとバドミントンが楽しくなっていった。
ジュニアのナショナルチームにも呼ばれるまでになった東野は、小学校を卒業するにあたって1つの決断をする。岩見沢を離れ、福島県の富岡町立富岡第一中学校へ進学することだった。県立の富岡高校とあわせ、中高一貫でバドミントンの強化に取り組んでいた公立学校だ。2011年の原発事故ののち、紆余曲折を経て現在はふたば未来学園中学・高校に引き継がれている。
「自分は行きたくなくて、お父さんも行ってほしくないと言っていたんですけど、お母さんが『行け』と」
そこには全国からそうそうたる生徒が集まっていた。
「ジュニアナショナルのときにいた子たちと同じ学校でプレーするとなって、強くなれるのかな、自分だけ弱いままで終わらないかなっていう不安でいっぱいでした」