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ラグビーPRESSBACK NUMBER
清宮幸太郎(24歳)“野球よりラグビー”だった速くてデカい少年時代「強すぎて仲間が辞めちゃった」「味方にタックルしてトライ」は本当?
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byKotaro Kiyomiya
posted2023/09/28 11:07
父・克幸さんが立ち上げた「ワセダクラブ」でプレーしていた小学生時代の清宮幸太郎。弟・福太郎君(現・早稲田大野球部)も以前は楕円球を追いかけていた
ラグビーで“超小学生級”だった清宮の分岐点は、早実初等部3年の頃だ。ラグビーと並行して軟式チームの「オール麻布」で野球を始めた。
「最初は野球もラグビーも頑張っていたんですが、小学4年生の時に(硬式野球の)チームに移ったら、土日が丸々野球になってしまった。ラグビーをする時間がなくなってしまったので野球に専念することにしたんです。野球の方が競技人口の分母も大きくて、舞台が整っていてライバルも多い。まずは一回そっちに挑戦してみて、ダメだったらいつでもラグビーに戻ってこよう。ラグビーのレベルはもう分かっていたから、大学でまたやってもいいなと思っていました」
ラグビー界にとってはとんでもない人材流出だが、野球の神様は“金の卵”を手放さなかった。清宮は小4時に移った「東京北砂リーグ」ですぐに頭角を現し、2012年リトルリーグ世界選手権で優勝。早実中等部時代には強豪の「調布シニア」でも全国優勝し、早くもその名を全国に知らしめたのだ。
「甲子園と花園の二刀流も思い描いた」
「ラグビーが嫌いにいなったとか、飽きたというわけではないです。その後も遊びではやっていました。家にボールが転がっていますしね。父親からは『野球で一番になれないなら、やめろ』と言われていました」
もしかすると克幸さんは愛息がいずれ同じ道を歩む夢も抱いていたかもしれないが、残念ながら? 清宮は高校野球界でも「一番」を手放さなかった。1年生からレギュラーを掴み、甲子園に出場。当時史上最多だった高校通算111本塁打を引っ提げ、7球団競合の末、ドラフト1位で日本ハム入団を果たすのだ。
「高校の時はまあまあ打っていたので。ラグビーは好きでしたけどさすがにもう無理だ、引き返せないなって。怪我をするわけにもいかない。少しだけ甲子園と花園の二刀流、とかも思い描いてみたんですけど、流石にちょっと無理でしたね」