- #1
- #2
ラグビーPRESSBACK NUMBER
「兄貴ごめん、蹴られへんかった」あの日から李承信が変わった…大学中退、22歳でラグビーW杯 “異色の近道”のウラに2人の恩人
posted2023/09/26 17:03
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph by
Kiichi Matsumoto
李承信には忘れられない試合がある。
第96回(2016年度)全国高校ラグビー大阪府予選の大阪朝鮮高対東海大仰星の決勝(第1地区)。高3の次兄・承爀(リ・スンヒョ)が主将を務めるチームで、承信は当時1年生ながらフルバック(FB)のレギュラーとして出場していた。
全国連覇を狙う東海大仰星は負けられない試合、一方の大阪朝鮮高も2大会ぶりの「花園」出場を目前にしていた。
後半25分、10-12で2点差を追う大阪朝鮮は東海大仰星陣内でFWのモールとラックで猛攻を仕掛けた。後半28分にはゴール前5メートルのところで東海大仰星がペナルティ。角度はあったがPGは狙える位置。キッカーは1年生の承信だった。観客席からも「PGを狙え!」と声が飛んでいた。
しかし、大阪朝鮮はキックよりも、モールからトライを奪うことを選択。最後は東海大仰星の厚いディフェンスを崩せずにノーサイド。
もし李がPGを蹴って成功していれば……。“たられば”の話だが、当時の監督は「1年生に責任を負わせることにためらった」と話し、兄・承爀も「弟の顔を見たらひきつっていた。これは無理だと思った。FWの3年生がトライを取ろう」と話している。
また、承信も「あの時は外したらどうしようとばかり思っていた。入る気がしなかった」と正直に答えていた。
「兄貴ごめん、蹴られへんかった」
承信は兄の前で「ヒョンニン(兄貴)ごめん、蹴られへんかった」と泣いた。兄・承爀は「もう言うなよ。これはFWの責任。気にしなくていい。次に花園いく経験にしたらいい」とねぎらったが涙が止まらなかった。
しかしこの時の敗戦と判断があったからこそ、承信は吹っ切れた。
絶対に入ると信じて蹴る。そこから、ミスを恐れないようになった。
息子の成長を見守ってきた父の東慶(トンギョン)さんも、この試合を転機だったと語る。
「今の承信がキックにこだわるのは、東海大仰星との最後にショットを狙うか狙わないかで、敗れた試合があったから。それがキックの迷いを消して、もっと努力するようになった一つの要因だと思います」