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野ボール横丁BACK NUMBER
「甲子園に9度出場したのに…」あの名将はなぜ“高校野球から離れた”のか? いま明かすジレンマ「結果出すなら選手に頭を使わせない、が早い」
posted2023/08/27 11:00
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Hideki Sugiyama
高校野球の強豪校・高知。同校を監督として率いた約14年の間に、甲子園に9度出場、明治神宮大会では全国制覇にも導いた島田達二。2018年夏をもって監督を引退し、指導の場を小・中学生のクラブチームに移した。実績を残しながら、なぜ高校野球から離れたのか。そして今あらためて思う「甲子園」とは。Number Webのインタビューに応じた。【全2回の#1/#2へ】
――まず、どういう経緯で、高知高校を辞めたのでしょうか。
島田 2018年夏に監督を退いて、そこから教員をしながら、小・中学校で野球を教えたり、障害者施設でお手伝いしたりと活動の幅を広げていたんです。漠然と、このまま管理職になるのかなと思っていたのですが、高知高校の人間であるという肩書きから一度、自由になりたいなという思いが湧いてきた。たとえば、中学生を教えていると、高校の野球部の勧誘に来てるんじゃないかと思われたり、何かと不便で。あとは、いろんな経験をする中で、ずっとここにおるのも視野が狭いよな、とも思い始めていて。50歳を前に、もうちょっと冒険したくなったんですよ。
なぜ「高校野球監督」から離れたのか
――高校の監督を退かれたのは、どういう理由だったのですか。
島田 夏の大会の前に、上の人から、この大会が終わったら(監督)交代な、と。唐突でした。本当は、そういう辞め方は嫌だったんです。僕が監督になったとき、前の監督が勝てなくなったから監督になったというところがあって。そうなると、次の監督は、勝ち負けに縛られることになる。それはものすごく苦しいので、監督交代は、もっと計画的にやりたかったんです。あと1年なら、あと1年で交代します、と。学校とはずっとそういう話をしていたんです。でも、そうはしてもらえなかった。私立なので仕方ないにせよ、そういうストレスはありましたね。
――高校を辞めるにあたって、周りの人の反応はどうだったのですか。