The CHAMPIONS 私を通りすぎた王者たち。BACK NUMBER
なぜ日本人は辰吉丈一郎に熱狂したのか?「撮影に恋人同伴で…」「引き分けでも負けを認める潔さ」“喧嘩自慢の不良少年”が愛された理由
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/12/29 17:02
1997年11月22日、大阪城ホールでシリモンコンを破り王座奪還を果たした辰吉丈一郎
プロボクサーではなく「辰吉丈一郎」という職業
97年11月22日。再びバンタム級に落とし、シリモンコン・パークビューの持つWBC王座に挑む。若く勢いのある相手に予想は不利だったが、奇跡的な逆転TKO勝利を飾り、約3年ぶりの王座復活を果たした。
しかし、98年から翌年にかけ2度にわたりウィラポン・ナコンルアンプロモーションに痛烈KO負けを喫し、無冠に追われる。
その後も、辰吉は現役にこだわり、ブランクをはさみつつリングに上がる。日本ボクシングコミッションのルールでは、3年以上試合をしなければ、その後公式戦を認められない。辰吉のラスト・ファイトは09年3月8日。タイで地元の無名選手に7回レフェリー・ストップされた。以来9年以上が経過し、リング復帰は現実的ではない。
次男の寿以輝がプロのリングに上がるようになったが、公の場で息子を指導しないのも「現役のボクサーである」からだ。
現行ルールでは「次の試合」はありえないが、浪速のジョーはジムワークを続けている。もはやプロボクサーに止まらず「辰吉丈一郎」という職業を全うしているようにも思える。
辰吉丈一郎Joichiro Tatsuyoshi
1970年5月15日、岡山県生まれ
[戦績]28戦20勝(14KO)7敗1分
[獲得タイトル]
WBC世界バンタム級王座
幼少時から父親の指導を受け、中学卒業後に大阪へ。全日本社会人選手権で優勝するなどアマチュアで活躍し、89年プロデビュー。91年リチャードソンを下しWBC世界バンタム級王座を獲得した。眼疾により敗北、ブランク、再起を繰り返し、97年シリモンコンを7回TKOに下して王座奪還を成し遂げた。愛称は「浪速のジョー」。